いま、○○がやばい
いま、ゴミ捨て場がやばい(一回完結) 肉布団京一
- 2009.04.03 Friday
- いま、○○がやばい
いま、日本は空前のエコブーム。
省エネ、分別、リサイクル・・・あらゆる手が尽くされてる。
でもなにをどうしたって、ゴミはでる。
それが生きるってことだ。
だけど、人が生きてる限り、いつでもどこかで出続けるゴミが、時として争いを呼んでしまうことがある。
争いの恐ろしい爪痕を求めて、私は街に出た。
出る前に試しに寄った、自分の住むマンションのゴミ捨て場が、さっそく、こんなことになっていた。
清掃係のおばちゃんの苦悩が、はっきりと出ている。
駄目
という強い言葉に、謝罪の念が思わず芽生える。
愚かな住人たちがこんなでごめんよと、代表して謝りたい気持ちでいっぱいだ。
だけど・・・
駄目ですか。
何度言っても駄目だったんですか。
ここで重要なのは、1枚目と2枚目の日付が同じだってことだ。
朝のほんのわずかの間に、おばちゃんの身に何があったのか。
「この場」の次の文字はいったいなんて読むのか。
謎は深まるばかりである。
釈然としない気持ちを抱きつつ、今度こそ私は街に出た。
ずいぶんな物言いである。
「ゴミ終わりだすな」だけでは伝わらないと感じて、「収集後は」という文句が足されている所に、辺り一帯の治安の悪さを感じる。
「収集日」もまともに書けない奴に、こんな言われ方されたくねえよ。
という気持ちを一瞬でも抱いた私には、まだまだ不遜な心が残っているということなのだろうか。
でも、「手書き」という行為には、どこか言葉にしがたい生々しい強さがあって、それがベニアに書かれていることで、更にグッと高まっているのは事実だ。
だってほら・・・
こうなるとやっぱり弱いもの。
精一杯施したラミネートが、逆にむなしいよ。
「ちょっと待って」と二回言われたところで、弱いことに変わりはないのだ。
でもこういうのもある。
年季が入っているのに加え、格言めいた言葉がグッとくる。
「手渡しする心」
私たち現代人に足りていないのは、そういう心なのかもしれない。
だが、よく考えてみると、プラスチック・ビニール類が出せない上に、ゴミ置場ではないとなると、ここは一体どこなんだと思わず迷子である。
だけど、こういう争いが繰り返された結果、最悪の事態に陥ることもある。
こうなってしまったらおしまいだ。
むなしさだけが心をかすめる。
そんなやや絶望的な気持ちになりながらも、私はとぼとぼと帰路についた。
すると・・・
また、我がマンションで惨劇が繰り広げられていたようである。
「◎」と「!!」の使い方について、あまりに特徴があるこのおばちゃんは、ガムテープを丁寧に張ることもままならない興奮状態だ。
カラスとネコが最近、どうしたのか。
全く説明もないまま、おばちゃんはすぐ次の貼り紙をしていた。
びっくりするが、これも同日に貼られていたものである。
おばちゃんの身に何があったのか。
ネコはもういいのか。
ただ、ガムテープの貼り方の丁寧さから、おばちゃんの精神の安定が垣間見える。
「協力」の前の文字を何て読むのかはわからないままだが、とりあえず、ひと安心だ。
何はともあれ、こんな最悪の結果を、もう二度と招くようなことがあってはならない。
今回紹介したような争いを未然に食い止めるには、捨てる側の感謝の気持ちが大切だ。
そこで私は、自宅マンションのごみ捨て場にこんな張り紙をしてみた。
おばちゃんと同じメソッドで、精一杯の感謝の意を真剣に伝えてみたつもりだ。
しかし翌朝、現場に行ってみると、私の貼り紙は跡形もなくはがされていた。
まだまだ、人類平和なんて程遠いのかもな。
そんなことを学んだ肉布団なのでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次回、「いま、臨時休業がやばい」でお会いしましょう。
ごきげんよう。
肉布団京一
省エネ、分別、リサイクル・・・あらゆる手が尽くされてる。
でもなにをどうしたって、ゴミはでる。
それが生きるってことだ。
だけど、人が生きてる限り、いつでもどこかで出続けるゴミが、時として争いを呼んでしまうことがある。
争いの恐ろしい爪痕を求めて、私は街に出た。
出る前に試しに寄った、自分の住むマンションのゴミ捨て場が、さっそく、こんなことになっていた。
清掃係のおばちゃんの苦悩が、はっきりと出ている。
駄目
という強い言葉に、謝罪の念が思わず芽生える。
愚かな住人たちがこんなでごめんよと、代表して謝りたい気持ちでいっぱいだ。
だけど・・・
駄目ですか。
何度言っても駄目だったんですか。
ここで重要なのは、1枚目と2枚目の日付が同じだってことだ。
朝のほんのわずかの間に、おばちゃんの身に何があったのか。
「この場」の次の文字はいったいなんて読むのか。
謎は深まるばかりである。
釈然としない気持ちを抱きつつ、今度こそ私は街に出た。
ずいぶんな物言いである。
「ゴミ終わりだすな」だけでは伝わらないと感じて、「収集後は」という文句が足されている所に、辺り一帯の治安の悪さを感じる。
「収集日」もまともに書けない奴に、こんな言われ方されたくねえよ。
という気持ちを一瞬でも抱いた私には、まだまだ不遜な心が残っているということなのだろうか。
でも、「手書き」という行為には、どこか言葉にしがたい生々しい強さがあって、それがベニアに書かれていることで、更にグッと高まっているのは事実だ。
だってほら・・・
こうなるとやっぱり弱いもの。
精一杯施したラミネートが、逆にむなしいよ。
「ちょっと待って」と二回言われたところで、弱いことに変わりはないのだ。
でもこういうのもある。
年季が入っているのに加え、格言めいた言葉がグッとくる。
「手渡しする心」
私たち現代人に足りていないのは、そういう心なのかもしれない。
だが、よく考えてみると、プラスチック・ビニール類が出せない上に、ゴミ置場ではないとなると、ここは一体どこなんだと思わず迷子である。
だけど、こういう争いが繰り返された結果、最悪の事態に陥ることもある。
こうなってしまったらおしまいだ。
むなしさだけが心をかすめる。
そんなやや絶望的な気持ちになりながらも、私はとぼとぼと帰路についた。
すると・・・
また、我がマンションで惨劇が繰り広げられていたようである。
「◎」と「!!」の使い方について、あまりに特徴があるこのおばちゃんは、ガムテープを丁寧に張ることもままならない興奮状態だ。
カラスとネコが最近、どうしたのか。
全く説明もないまま、おばちゃんはすぐ次の貼り紙をしていた。
びっくりするが、これも同日に貼られていたものである。
おばちゃんの身に何があったのか。
ネコはもういいのか。
ただ、ガムテープの貼り方の丁寧さから、おばちゃんの精神の安定が垣間見える。
「協力」の前の文字を何て読むのかはわからないままだが、とりあえず、ひと安心だ。
何はともあれ、こんな最悪の結果を、もう二度と招くようなことがあってはならない。
今回紹介したような争いを未然に食い止めるには、捨てる側の感謝の気持ちが大切だ。
そこで私は、自宅マンションのごみ捨て場にこんな張り紙をしてみた。
おばちゃんと同じメソッドで、精一杯の感謝の意を真剣に伝えてみたつもりだ。
しかし翌朝、現場に行ってみると、私の貼り紙は跡形もなくはがされていた。
まだまだ、人類平和なんて程遠いのかもな。
そんなことを学んだ肉布団なのでした。
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次回、「いま、臨時休業がやばい」でお会いしましょう。
ごきげんよう。
肉布団京一
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