デリカシーの機微が問われる現代社会のさまざまな局面に、ぼんやりと警鐘を鳴らす無神経なコラム。
デリカシーには貸しがある
【はじめに】
- 2012.04.08 Sunday
- 福田は今日も追いつかない
【はじめに】
新年度なので心機一転、日記でも始めようと思う。
正直、今年の1月に一度「日記書こう」と思い立ってはいたのだが、
元日だけ書いてすぐに日々がバタバタとし始めてしまい、すみやかに挫折。
仕切り直して2月から始めようとしたら、今度はいきなりインフルエンザに
見舞われてガオってしまったため、日記どころじゃなくなり雲散霧消。
あ、ちなみに「ガオる」っていうのは小さい頃から父親がよく使っていた
言葉で、「病気で弱る、落ち込む」という意味の東北地方の方言なんだけど
(生粋の鎌倉育ちであるはずの父親がなんでそんなマイナーな方言の
ヘビーユーザーだったのかは少しく謎)、
あーれはまさしくガオった。大いにガオった。
- -
- -
最終回「ダイオウグソクフクダムシ」
- 2011.09.24 Saturday
- 福田の蜻蛉日記
福田の蜻蛉日記~すばらしきバグズライフ~
最終回「ダイオウグソクフクダムシ」
【某月某日】
「丸まれないワラジムシが同じだけ生き延びている以上、
ダンゴムシの丸まれる能力の意味って、いったいなに?」
でおなじみ、ご存じ“虫あるある”の福田です。
虫けらのみなさん、お元気でしたか?
駆除されませんでしたか?
寿命きてませんか?
「虫になってしまった人」という
グレゴール・ザムザばりの不条理な設定で
虫と人との懸け橋となり、
取るに足らない日常を活写する
平成の日記文学を目指したこの連載ですが、
ご存じのとおり、わずか5回で更新が中断という
情けない現状で今に至っております。
虫だけに、連載も冬を越せなかったわけです(虫うまいやつ)。
あと、途中で水嶋ヒロが『KAGEROU』って小説書いて
賞を獲っちゃったおかげで、やる気をごっそり削がれた、
というのもあるよね。
だって、『KAGEROU』って言いながら全然虫の話じゃないんだもんよ。
ウスバカゲロウが短い余命をフルに活用して
悪の魔王フマキラーを倒すワンダフル冒険ストーリーじゃないんだもんよ。
そりゃあ心が折れますよ。
…みたいな話が“虫時事ネタ”として許されたのも去年までだったわけで。
ついでに言っておくと、フマキラーっていう社名は
「フライ=蝿」と「マ(モ)スキート=蚊」の
「キラー」って意味だって知ってた?
これ、“虫トリビア”な。
ま、本当の理由を正直に書くとだね、
日常のあれこれをいちいち虫を使ってうまいこと言う、
という企画そもそもの趣旨に割と抜本的な無理があったと、
そういうことが5回続けた時点でわかっちゃったんですね。
だったらわかっちゃった時点でやめろよと、
普通の人ならそう思いますわな。
それが俺という人間の、いや虫の不可解なところよ。
普段から、「焼肉食べに行きたいなあ」と思って、
思ったまま半年くらい経っちゃうことが
ザラにあるタイプの人間、いや虫なんです。
「え、まだ焼肉食べに行ってなかったの?」とか、
「え、そもそもまだ焼肉食べたかったの?」とか、
よく驚かれますが、そういうロングスパンで生きてるんだから仕方ない。
虫だったらとっくに死んでますけどね!(虫パラドックス)
だからね、連載中断から1年経って、私もようやく決意しました。
この連載、いったん打ち切ります。
この期に及んで「いったん」とか言ってるところに
私という人間いや虫、人間、もうめんどくさいから虫人間でいいや、
虫人間の往生際の悪さというか、意外と粘着質な性格が
クヌギの樹液のように滲み出ている(虫たとえ)わけですが、
なんらかの形で連載は再開します。
ただ、それは虫日記ではないと。
そういうことに気付いて、理解して、腑に落ちるのに
かかった時間が1年だったと、そういう風に思ってほしいのです。
完全にやめちゃうわけじゃない、
言ってみればセミリタイアです(虫ダジャレ)。
……。
ね、ダジャレが出ちゃったらもうやめるしかないよ。
潮時だよ。
虫の息だよ。
「虫」ってね、考えたらひどい呼び名ですよ。
ヒルとかムカデとかダンゴムシとかミミズとか、
どう考えても「親戚」ですらない、
本来まったく「他人」である種族違いの生き物すら、
「虫」とひとくくりに呼ばれてしまうカテゴライズの杜撰さ。
でも、その「ゾウリムシもカブトムシも同じ虫でしょ?」みたいな、
ガバガバな懐の大きさを人にも適用すれば、
我々はもう少しラクにのびのびと生きられたのではないだろうか。
人がもっと虫みたいになればいいのに!
それが、この短い連載で俺が伝えたかったことだ。
ということにしてほしい。
そんな虫ののびしろというかポテンシャルを感じたところで、
みなさんとはお別れです。
また虫の知らせがあったらお会いしましょう。
んじゃ。
最終回「ダイオウグソクフクダムシ」
【某月某日】
「丸まれないワラジムシが同じだけ生き延びている以上、
ダンゴムシの丸まれる能力の意味って、いったいなに?」
でおなじみ、ご存じ“虫あるある”の福田です。
虫けらのみなさん、お元気でしたか?
駆除されませんでしたか?
寿命きてませんか?
「虫になってしまった人」という
グレゴール・ザムザばりの不条理な設定で
虫と人との懸け橋となり、
取るに足らない日常を活写する
平成の日記文学を目指したこの連載ですが、
ご存じのとおり、わずか5回で更新が中断という
情けない現状で今に至っております。
虫だけに、連載も冬を越せなかったわけです(虫うまいやつ)。
あと、途中で水嶋ヒロが『KAGEROU』って小説書いて
賞を獲っちゃったおかげで、やる気をごっそり削がれた、
というのもあるよね。
だって、『KAGEROU』って言いながら全然虫の話じゃないんだもんよ。
ウスバカゲロウが短い余命をフルに活用して
悪の魔王フマキラーを倒すワンダフル冒険ストーリーじゃないんだもんよ。
そりゃあ心が折れますよ。
…みたいな話が“虫時事ネタ”として許されたのも去年までだったわけで。
ついでに言っておくと、フマキラーっていう社名は
「フライ=蝿」と「マ(モ)スキート=蚊」の
「キラー」って意味だって知ってた?
これ、“虫トリビア”な。
ま、本当の理由を正直に書くとだね、
日常のあれこれをいちいち虫を使ってうまいこと言う、
という企画そもそもの趣旨に割と抜本的な無理があったと、
そういうことが5回続けた時点でわかっちゃったんですね。
だったらわかっちゃった時点でやめろよと、
普通の人ならそう思いますわな。
それが俺という人間の、いや虫の不可解なところよ。
普段から、「焼肉食べに行きたいなあ」と思って、
思ったまま半年くらい経っちゃうことが
ザラにあるタイプの人間、いや虫なんです。
「え、まだ焼肉食べに行ってなかったの?」とか、
「え、そもそもまだ焼肉食べたかったの?」とか、
よく驚かれますが、そういうロングスパンで生きてるんだから仕方ない。
虫だったらとっくに死んでますけどね!(虫パラドックス)
だからね、連載中断から1年経って、私もようやく決意しました。
この連載、いったん打ち切ります。
この期に及んで「いったん」とか言ってるところに
私という人間いや虫、人間、もうめんどくさいから虫人間でいいや、
虫人間の往生際の悪さというか、意外と粘着質な性格が
クヌギの樹液のように滲み出ている(虫たとえ)わけですが、
なんらかの形で連載は再開します。
ただ、それは虫日記ではないと。
そういうことに気付いて、理解して、腑に落ちるのに
かかった時間が1年だったと、そういう風に思ってほしいのです。
完全にやめちゃうわけじゃない、
言ってみればセミリタイアです(虫ダジャレ)。
……。
ね、ダジャレが出ちゃったらもうやめるしかないよ。
潮時だよ。
虫の息だよ。
「虫」ってね、考えたらひどい呼び名ですよ。
ヒルとかムカデとかダンゴムシとかミミズとか、
どう考えても「親戚」ですらない、
本来まったく「他人」である種族違いの生き物すら、
「虫」とひとくくりに呼ばれてしまうカテゴライズの杜撰さ。
でも、その「ゾウリムシもカブトムシも同じ虫でしょ?」みたいな、
ガバガバな懐の大きさを人にも適用すれば、
我々はもう少しラクにのびのびと生きられたのではないだろうか。
人がもっと虫みたいになればいいのに!
それが、この短い連載で俺が伝えたかったことだ。
ということにしてほしい。
そんな虫ののびしろというかポテンシャルを感じたところで、
みなさんとはお別れです。
また虫の知らせがあったらお会いしましょう。
んじゃ。

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『ぴあ』休刊に寄せて ~福田サゲチン伝説 エピソード0~
- 2011.07.22 Friday
- デリカシーには貸しがある
どうも、ご無沙汰してます。
福田フクスケです。
雑誌が冬の時代と言われて久しいですね。
ここ数年、休刊になった雑誌を挙げれば枚挙にいとまがないです。
ダカーポ、ヤングサンデー、スタジオボイス、
広告批評、TOKYO1週間、スタジオボイス、
あと、スタジオボイ……
まあ正直パッと思いつくのはそれくらいですけれども、
それくらいだからこそ休刊しちゃうわけです。
でも、まさかこの雑誌がなくなるとは誰が予想したでしょうか。
ぴあ。

いや、まあ数年前に週刊から隔週刊になったときから、
なんとなくうすうす予想はしてたけど。
情報誌ヤバそうだなあ、とは思っていたけど。
でも、80年代に「情報を売る」という
消費スタイルをいち早く確立させ、
小劇場演劇をはじめとするエンタメ興業の流通のあり方を一変させた
エポックメイカーとしての功績は大きいわけじゃない。
エボリューショナーだったわけじゃない。
ペレストロイカーだったわけじゃない。
そんな『ぴあ』が休刊すると聞けば、寂寞感もひとしおです。
だってね、何を隠そうこの私・福田フクスケの
コラムニストとしての商業誌デビューは
この『ぴあ』だったんですよ!
今ではもう『ぴあ』自身ですら
“なかったこと”にしていると思いますが、
かつて「ぴあコラム大賞」というものがあってですね。
全国から広くコラムニスト志望者の原稿を募り、
大賞受賞者には『ぴあ』本誌で連載権がもらえるという、
それは夢のような公募コンテストがあったわけです。
…まあ今となっては本当に夢だったんじゃないかと思ってますけれども。
その第2回で私、見事に大賞をいただきまして、
2003年の半年間、『お前のバカで目が覚める!』
というコラムを毎週連載してたんですよ。
ただ一介の大学生ふぜいが、
ちゃんと原稿料もらって、
あの『ぴあ』に。
そりゃあ嬉しかったよね。
たぶんこのときの連載経験がなかったら、
そのあと編集やってフリーライターになるって
道を歩むこともなかったと思います。
それがよかったか悪かったかは別にしてですけどね!
だから、こうして今の俺がいるのは、
本当に『ぴあ』のおかげなんです。
いい意味でも悪い意味でもですけどね!
ただまあ、こっからが「福田チューインガム伝説」の始まりであり、
「福田サゲチン劇場」の幕開けなんですけれども。
こんな千載一遇のチャンスをものにしたにもかかわらず、
大した反響もなく、ふわっとした理由で
ぼかされて連載は半年で終了します。
ちなみに余談ですが、
第1回の大賞受賞者である山田スイッチさんは、
1年間続いた連載が見事単行本化。
その後、単著も数冊出されています。

一方、その後漠然と物書きをしたいなあと思いつつも
執筆も売り込みもきちんとしていなかった私は、
「ぴあ連載」という絶好のセールスポイントを
次の仕事につなげることができず、
何の糸口もつかめないまま
あれよあれよという間に就活時期を迎え、
一社だけ受けたマガジンハウスに最終選考であえなく不合格。
ようやく焦ったところで、もはやどこも採用募集などしておらず、
かろうじて秋口になっても募集を続けていた
都内の某編集プロダクションへすべりこみ就職。
忙殺がデフォルトの業界体質ですっかり社畜色に染まり、
なんとそのまま5年間も漫然とい続けることになるのです。

ちなみに余談ですが、
ぴあコラム大賞は、私が受賞した翌年の第3回で、
募集のテンションが明らかにトーンダウン。
受賞者の連載スペースも目に見えて狭くなり、
とうとう翌年の募集は行われないまま、
賞自体が第3回で終了しました。
なんかこれ…俺のせいっぽくない?
だってさあ、普通に考えてすごいことだよ「ぴあに連載」って。
それが、わずか3年でみるみる賞レースとしての魅力を失い、
いまや誰もその存在を覚えていないって……。
そんなことある? 考えられる?
しかも、これはまあ考え過ぎだと思うんだけど、
なんとなくね、きもーち、心なしかではあるけど、
ちょうど俺が連載した頃からだったんじゃないかな…
『ぴあ』の雑誌としての勢いが衰え始めたのは……。
も、もちろん気のせいなんだけどさ!
かくして、「ぴあコラム大賞受賞」という賞歴の持つ
意味と輝きは、すみやかなテンポでみるみる色褪せていき、
私は今こうして、あっけらかんとゼロから
フリーライターとしての道を出直しているわけです。
今でも思います。
あのとき、連載の余勢を駆って
執筆と売り込みをちゃんとがんばって、
思いきってフリーになっていれば、
今、それなりの地位で楽できていたんじゃないかって。

だってね、本当にもう、こんなこと言いたくないんですけど、
当時の原稿を読み返してみたら、すごくおもしろいんだ。
よくこんなの毎週書けてたなあって、感心するもの。
「誰だこのおもしろい奴は」って、
自分のことなのに軽く乖離起こしますもの。
今、月1で連載してる『ポパイ』のコラムが
1年8か月かかってようやく20回目になるんだけど、
ギャグのセンスも切れ味も密度も、構成の凝り方も、
半年で24回書いた『ぴあ』のコラムに及んでいないと思う。
正直、あれと同じものはもう書けないよね。
よく、女性がヌード写真を撮るときに、
「いちばん若くてきれいな時を記録に残したかった」
とか言うでしょ。

あれはさ、自分が40歳、50歳になってから
本当に大切な人に出会ってしまったときに、
若い頃の私を知ってほしい、
きれいだった私に欲情してほしいと思って、
きっとその写真を見せるわけじゃないですか。
それで自分もまた自信を取り戻すわけですよ。
その気持ち、今なら大いにわかるもの。
好きな人には自分の書いたおもしろいものは知ってほしいし、
たとえばこれから出会って結婚する女性がいるとして、
やっぱり読んでもらいたいもん、この原稿を。
生まれてくる子供にだって、
「パパはなあ、昔こんなおもしろコラムを…
…って、ごめん、ありえない夢を見て
思わず気分がしんみりしてしまったので、
話を元に戻すけれども。
ただね、当時の原稿をあらためて読んで、
俺はちょっとたまげましたね。
だって、芸能人や一流企業の固有名詞をバンバン出して、
揶揄・嘲笑のオンパレードなんだもの。
パレードっつうか、もはやデモ行進の勢いよ。
たとえば、一例をちょっと挙げてみましょうか。
米米クラブの無駄な人数の多さがそれなりの迫力を生んでいたように、京本政樹がモミアゲ込みで京本政樹であるように、足して足された自分の付加価値を寄せて上げてかき集めて、無理矢理Cカップくらいにしてあなたもなんとか生きているのでしょ?
(第六回「付加なんていらねぇよ、夏」より)
平井堅の顔のホリの深さに溜まった水を飲んで生き延びたとか、照英の顔の濃さで河川の透明度がちょっと下がったとか、室伏の顔のバタ臭さで出なかった母乳が出るようになったとか、各地からさまざまな報告が寄せられているとかいないとか。
(第七回「顔面濃度計の針を振り切れ!」より)
そもそもなんでソニンってあんなに見ていて痛々しいんだろうか。(中略)要するに一言で言えば、そう、無念。志半ばにしてユウキのせいで夢ついえた「EE JUMP」の無念を、ソニンは今も水子供養のように引きずり続けているように私には見えるのだ。もう名前もソニンやめて「ムネン」でいいような気がする。
(第九回「哀歌は背負うよ、どこまでも」より)
……ね?
何が「ね?」なのかわかんないけど、
とりあえず「これ、よく載ったな」の一言に尽きるよ。
『ぴあ』ってさあ、エンタメ情報誌じゃないすか。
芸能人や事務所や興業主の怒りを買ったら、死活問題だと思うわけ。
「オスカーのタレントの出演情報だけ載ってない」とか、
「研音のタレントだけ伏せ字になってる」とか、ありえないでしょ。
にもかかわらず、なにこの無骨なチャレンジ精神。
平和な大地に、無理やり敵を作って戦いを挑むようなこの所業。
もう少し、当時の原稿から引用してみましょうか。
いつも「ビバ無難」をスローガンに、バラエティ番組における恵俊彰の存在感のような、毒にも薬にもならない服装を心がけている。
(第十四回「着こなしませんシャツまでは」より)
これからは好きなタレントは菊川怜ですって言うからさ。台詞をしゃべっても司会をしても、すべて手に負えてないのにあんなにスカッと元気なのがいいよね。常に順調に最安値を更新しつつ、その安さ元手に無理矢理輝いてる大雑把な感じが痛々しく潔い。(中略)
底値でモテる。そんな菊川怜な生きかたこそ、現代人のはかない希望ではないだろうか。
(第十七回「TVショッピングのサクラに安いと叫ばれたい」より)
なかったことにしたいことを、あえて忘れない勇気も必要じゃないだろうか。
「昔SMAPにはね、森っていう子がいたんだよ・・・・・・」私は孫にそう語り継ぐ、後ぐされた年寄りになりたいのだ。
(第十九回「酔って消せない過去もある」より)
どうしたどうした!
討ち死にしたいのか、『ぴあ』!
怒られるって!
見つかったら絶対怒られるって!
森クンのこと言っていい雰囲気になったの、つい最近だよね?
それだって「※ただし、メンバーに限る」だよね?
私もあれから、ずるずると無駄に長く出版業界にいた。
だから、今ならわかります。
業界の大人の事情も知らない一介のバカ大学生に、
そんな事情の存在にとうとう最後まで気付かせず
自由に書かせてくれた、『ぴあ』の懐の深さ。
「おもしろくない」を理由に書き直しを食らったことはあっても、
「問題になるとまずいから」という理由で
修正させられたことは、ついに一度もありませんでした。
(正確には一度だけ、
キティちゃんに架空のインタビューをするという内容の回で、
マネージャーをこき使ったり、
ご当地キティのことを「地方のドサ回り」と言ったり、
「ミッキー捕まえて食いたい」と言ったり…というネタを書いたとき、
「サンリオピューロランドは広告主だから」ということで
「○キティちゃん」「サ○リオ」「ピューロ○ンド」と
それぞれ伏せ字になった、ということはあったけど、
こんなん、俺が編集者だったらテーマごと書き直させてるよ・笑)

そして、その当時、俺の担当をしてくれていた編集者こそ、
現在の『ぴあ』の最後の統括編集長だった…という事実。
なんか、ちょっと、いい話じゃないすか?
だから、たとえ私が生粋のサゲチンとしてじわじわと
『ぴあ』の運を下げ、休刊に追い込んだ遠因だったとしても、
『ぴあ』は私にとってエンタメ情報誌である以上に、
物書きとしての原点であり、古巣であり、学校であり、
あれ以来ちっとも構ってくれなかった(苦笑)、
ちょっと厳しい恩人なのです。
そんな『ぴあ』よ、
39年間、おつかれさまでした!

また書きたかったですけどね!
ちなみに、最終選考で落ちたマガジンハウスの面接官の中に、
俺のことをずっと覚えていてくれた人がいて、
その人がのちに『ポパイ』の編集長になって俺に連載を持たせてくれて、
結果的に今、ポパイをメインに仕事をさせてもらってる…というのも、
なんだか不思議な縁を感じる話です。
だから、『ポパイ』休刊…という縁起でもない事態だけは、
ギャグでも不吉すぎてそんな怖いこと書けません。
(文責・福田フクスケ)
- -
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第05回「モンキフクダアゲハ」
- 2010.09.05 Sunday
- 福田の蜻蛉日記
福田の蜻蛉日記~すばらしきバグズライフ~
第05回「モンキフクダアゲハ」
【某月某日】
「アリの体のつなぎ目って、いくらなんでも細すぎない?」
でおなじみ、ご存じ“虫あるある”の福田です。
私、虫の分際でたいへん恐縮ですが、
ただいま仕事が非常にヤバい状況で、
しかもその原因がひゃっくぱあせんと私にあるので、
今日は手短に済ませていいですか?
「お行儀」というものについて考えるんですよ。
たとえば、名前というのはその人が持って生まれたものであって、
本人の意思でどうにもならないものをネタにしたりからかったりするのは、
決してお行儀のいいことじゃないでしょ。
それが他の国の言葉だったりしたら、
なおさら勝手におもしろがるのは失礼だぞと。
でも、『チョン・ダヨンのモムチャンダイエット』というタイトルに、
一瞬、心がざわっとしてしまう私を私は否定できないのです。
チョン・ダヨンといわれて、脳内にどうしても
「赤塚不二夫のキャラクター」的な顔を
思い浮かべてしまうのは紛れもない事実であって、
誤解を恐れずにあえてさらに言えば、
「ふざけてるのか」とも思ってしまうわけです。
でも、自己弁護じゃないけどさ、
「思ってしまう」こと自体に罪はないと思うのさ。
それはもう、小学生が世界地図に「エロマンガ島」を
見つけたらはしゃがずにいられないのと一緒ですよ。
「エロマンガ島」にはしゃぐことは、
「エロマンガ島(に住む人)」を馬鹿にすることと
イコールではないからね。
だから俺、チョン・ダヨンに関しては、
原語を日本語表記のまま出版しようと思った
日本人の編集者が「してやった」と思うよ。
チョン・ダヨンはチョン・ダヨンのまま
チョン・ダヨンって言って売ったほうが、
日本人の耳に残るぞっていう確信犯ですよ。
かといって、そのやり方を
「お行儀が悪い」とは言いきってしまえないところが、
「お行儀」の難しいところなのよね。
さーて、話がひと段落したところで、
今夜も昆虫界の宿敵・フマ●ラーに
「カミキリの羽」(カミソリの刃ではなく)を
送りつける威力業務妨害に勤しむとするか。
じゃ。
第05回「モンキフクダアゲハ」
【某月某日】
「アリの体のつなぎ目って、いくらなんでも細すぎない?」
でおなじみ、ご存じ“虫あるある”の福田です。
私、虫の分際でたいへん恐縮ですが、
ただいま仕事が非常にヤバい状況で、
しかもその原因がひゃっくぱあせんと私にあるので、
今日は手短に済ませていいですか?
「お行儀」というものについて考えるんですよ。
たとえば、名前というのはその人が持って生まれたものであって、
本人の意思でどうにもならないものをネタにしたりからかったりするのは、
決してお行儀のいいことじゃないでしょ。
それが他の国の言葉だったりしたら、
なおさら勝手におもしろがるのは失礼だぞと。
でも、『チョン・ダヨンのモムチャンダイエット』というタイトルに、
一瞬、心がざわっとしてしまう私を私は否定できないのです。
チョン・ダヨンといわれて、脳内にどうしても
「赤塚不二夫のキャラクター」的な顔を
思い浮かべてしまうのは紛れもない事実であって、
誤解を恐れずにあえてさらに言えば、
「ふざけてるのか」とも思ってしまうわけです。
でも、自己弁護じゃないけどさ、
「思ってしまう」こと自体に罪はないと思うのさ。
それはもう、小学生が世界地図に「エロマンガ島」を
見つけたらはしゃがずにいられないのと一緒ですよ。
「エロマンガ島」にはしゃぐことは、
「エロマンガ島(に住む人)」を馬鹿にすることと
イコールではないからね。
だから俺、チョン・ダヨンに関しては、
原語を日本語表記のまま出版しようと思った
日本人の編集者が「してやった」と思うよ。
チョン・ダヨンはチョン・ダヨンのまま
チョン・ダヨンって言って売ったほうが、
日本人の耳に残るぞっていう確信犯ですよ。
かといって、そのやり方を
「お行儀が悪い」とは言いきってしまえないところが、
「お行儀」の難しいところなのよね。
さーて、話がひと段落したところで、
今夜も昆虫界の宿敵・フマ●ラーに
「カミキリの羽」(カミソリの刃ではなく)を
送りつける威力業務妨害に勤しむとするか。
じゃ。
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第04回「シロスジフクダカミキリ」
- 2010.08.30 Monday
- 福田の蜻蛉日記
福田の蜻蛉日記~すばらしきバグズライフ~
第04回「シロスジフクダカミキリ」
【某月某日】
二足歩行のみなさん、こんにちは。
相変わらずの暑さに、冷凍庫で冷やした虫ゼリー
くらいしか食べる気がしない福田です。
更新が一週間空いてしまいましたが、これは別に
私の身の上に何らかの変化(脱皮とか羽化とか変態とか)が
起きていたわけではないので、ご心配なく。
ちょっとね、瀬戸内の島々に行って3日間ばかし羽を休めてました。
あ、「羽を休めてた」ってのは俺の場合、文字通りの意味だから。
こういうの、今日から「虫レトリック」って呼ぶからよろしく。
羽ばたいての移動、虫的にコレ、マジで疲れるのね。
だって考えてみてよ。ハチやカナブンの羽音ってすごいでしょ。
普通に考えて、あんな小さな体からあんな音させたら、背中がもげますって。
何の気なしに飛んでいるように見えて、あれみんな目を血走らせてるからね?
全員が全員、エスパー伊東や江頭2:50のような「りきみ方」を普段使いしてるんだもの。
そりゃあ、寿命も短くなるよ。
寿命が短くなるといえば、『24時間テレビ』で
マラソンをしていたはるな愛の寿命が縮んでいないか心配だ。
体作りや練習もそこそこに走らされて、あれじゃあ背中がもげますって。
あの番組は、ほんとに相変わらず観ていて虫酸が走るなあ。
虫酸マラソンだなあ(←あ、これが虫レトリックね)。
…いや、わかってるのよ?
今さら24時間テレビの偽善や欺瞞性を批判して
みせたところで、何の新しさも面白みもないってことは。
むしろ、さも鬼の首をとったように批判する価値すらないと思う。
だってあれ、やってることは『はじめてのおつかい』と一緒だもの。
知恵も体力もない子供がけなげに買い物をする姿は、
そりゃあ愛らしいし、いじらしいし、感動的だし、
それを観て泣くのは人間として自然な反応だとも思う。
でも、それは単に「バラエティ番組としてよくできている」ということだ。
同じことをハンデや悲運を背負った人にやらせることで、
単なる「番組の手法」を、さも「乗り越えるべき人生の試練」
であるかのようにすりかえるのは、なんというか、その、
虫が良すぎるのではないか(言っちゃったーーー!)。
そうそう。
何かに似てると思ったら、『24時間テレビ』って
虫同士を戦わせる企画モノDVDに似てるんだ。
カブトムシとオオムカデを戦わせたりさあ、確かにおもしろいけど、
それ、お前が無理やりセッティングしたマッチじゃん。
ま、そういう我われだって、
自分で掘ったドツボにはまっておきながら
「どうして私、うまくいかないんだろ…」とか
非運ぶっちゃう生き物ですからね。
人間は、自ら喜んでハンデを背負っては、
毎日、自分だけの『24時間テレビ』を
演じているだけなのかもしれない。
澱のように淀んだ現代人の心にとって、
それがけなげな「どぶサライ」の方法なのだ。
うーん、うますぎて背中がもげますって!
第04回「シロスジフクダカミキリ」
【某月某日】
二足歩行のみなさん、こんにちは。
相変わらずの暑さに、冷凍庫で冷やした虫ゼリー
くらいしか食べる気がしない福田です。
更新が一週間空いてしまいましたが、これは別に
私の身の上に何らかの変化(脱皮とか羽化とか変態とか)が
起きていたわけではないので、ご心配なく。
ちょっとね、瀬戸内の島々に行って3日間ばかし羽を休めてました。
あ、「羽を休めてた」ってのは俺の場合、文字通りの意味だから。
こういうの、今日から「虫レトリック」って呼ぶからよろしく。
羽ばたいての移動、虫的にコレ、マジで疲れるのね。
だって考えてみてよ。ハチやカナブンの羽音ってすごいでしょ。
普通に考えて、あんな小さな体からあんな音させたら、背中がもげますって。
何の気なしに飛んでいるように見えて、あれみんな目を血走らせてるからね?
全員が全員、エスパー伊東や江頭2:50のような「りきみ方」を普段使いしてるんだもの。
そりゃあ、寿命も短くなるよ。
寿命が短くなるといえば、『24時間テレビ』で
マラソンをしていたはるな愛の寿命が縮んでいないか心配だ。
体作りや練習もそこそこに走らされて、あれじゃあ背中がもげますって。
あの番組は、ほんとに相変わらず観ていて虫酸が走るなあ。
虫酸マラソンだなあ(←あ、これが虫レトリックね)。
…いや、わかってるのよ?
今さら24時間テレビの偽善や欺瞞性を批判して
みせたところで、何の新しさも面白みもないってことは。
むしろ、さも鬼の首をとったように批判する価値すらないと思う。
だってあれ、やってることは『はじめてのおつかい』と一緒だもの。
知恵も体力もない子供がけなげに買い物をする姿は、
そりゃあ愛らしいし、いじらしいし、感動的だし、
それを観て泣くのは人間として自然な反応だとも思う。
でも、それは単に「バラエティ番組としてよくできている」ということだ。
同じことをハンデや悲運を背負った人にやらせることで、
単なる「番組の手法」を、さも「乗り越えるべき人生の試練」
であるかのようにすりかえるのは、なんというか、その、
虫が良すぎるのではないか(言っちゃったーーー!)。
そうそう。
何かに似てると思ったら、『24時間テレビ』って
虫同士を戦わせる企画モノDVDに似てるんだ。
カブトムシとオオムカデを戦わせたりさあ、確かにおもしろいけど、
それ、お前が無理やりセッティングしたマッチじゃん。
ま、そういう我われだって、
自分で掘ったドツボにはまっておきながら
「どうして私、うまくいかないんだろ…」とか
非運ぶっちゃう生き物ですからね。
人間は、自ら喜んでハンデを背負っては、
毎日、自分だけの『24時間テレビ』を
演じているだけなのかもしれない。
澱のように淀んだ現代人の心にとって、
それがけなげな「どぶサライ」の方法なのだ。
うーん、うますぎて背中がもげますって!
- -
- -
第03回「ヘラクレスオオフクダカブト」
- 2010.08.15 Sunday
- 福田の蜻蛉日記
福田の蜻蛉日記~すばらしきバグズライフ~
第03回「ヘラクレスオオフクダカブト」
【某月某日】
高校時代の部活仲間の飲み会が地元であってね。
普段、大塚ニューコーポのメンバーといると
あんまり気付けないことなんだけど、
いやあ、着実に来てるわ、結婚&出産ラッシュ。
なんというかな、
具体的に日付が決まっているとかじゃないのよ。
むしろ、決まってないにもかかわらず、
「まあ、今の相手と次はもうそろそろ結婚かな」
みたいなことを自然と匂わせてくるあの感じね。
人として段階を踏んで生きている以上、
当然踏むべき手はずとして結婚や妊娠が
視野に入ってきてますよねうちら、みたいな。
意外とそういうところ堅実だな神奈川県民!
というのが偽らざる私の感想であって。
だって、結婚するってことはもう恋愛もセックスも
自由にしてはいけないってことだよ。
自分や相手が心変わりしないという保証と信頼を、
なぜたかだか27歳にして持てるのか。
けっこう本気でわからない虫が今、ここに一匹いるわけ。
みなさん、「自分には人並みの結婚生活が送れる」という
その漠然とした確信はどこから湧いてくるの?
というのを聞きたくて、とうとう聞けなかった福田なのです。
ま、虫なんで聞きたい以前にしゃべれなかったわけですけど。
*****
しかしでもあれだよ。
私が何よりも感動したのは、
虫になってしまったという信じがたい事態にもかかわらず、
同級生たちがこれまでとさほど変わらず
私のことを受け入れてくれたことだ。
みんな私のことを昆虫だとは見なさず、
虫けら同然の人間として扱ってくれた。
「大丈夫だよ、前から虫みたいなところあったし」
「虫になって、むしろしっくりくる感じだよね」
「今まで虫じゃなかったことが不思議なくらいだよ」
「あれ、ていうかとっくに虫だと思ってた」
みんな、私のことを傷つけまいと必死でフォローしてくれる。
私の生態を察してか、会話の中に不用意に
「駆除」「キンチョール」「触角が取れる」
といったフレーズが出てくるのを避けているのがわかるが、
その他はこれまでと変わらずに接してくれている。
みんな、ありがとう。
*****
夜は部員同士で結婚した夫婦の家に泊まりに行ったのだが、
翌朝、玄関先にカブトムシの頭が
いくつも転がっていておったまげた。
え、なに?
なんかのサインなの?
ドリカム的に言えば、
「カブトの頭5体陳列 シ・ン・デ・イ・ルのサイン」なの?
もしや、これが昆虫界の通信手段?
虫になった私に、虫神様(そんなのいるのか知らんが)からの
ムシムシテレフォン(そんなの以下略)なのか?
テキパキとパニックに陥りそうになったのもつかの間、
家人に聞けば、夏に入ってからなんとほぼ毎朝、
カブトムシの頭部だけが落ちているのだという。
たぶん、猫やアライグマなどの動物の仕業だろう、とのこと。
そりゃあ、佐川急便のお兄ちゃんが不在連絡票の代わりに
カブトの頭をへし折って玄関に置いていたらすごく嫌なので、
ここはなんとしても動物の仕業であってほしいのだが、
するとあれか、カブトムシを食べる動物にとって、
あのツノの部分はエビフライでいうところの尻尾、
ローストチキンでいうところのアルミホイルなのね。
たぶん、ツノの部分を手で持って食べるんだろう。
いやーん、かわいい。
それよりも、毎朝食べ残せるほどたくさんの野生のカブトが
大船に生息していたことに一抹の驚きを禁じ得ないよ。
「え、カントリーマァムって白あんが入ってるの?」くらいの小さい驚きだけど。
俺も食べられないように気を付けなければ。
第03回「ヘラクレスオオフクダカブト」
【某月某日】
高校時代の部活仲間の飲み会が地元であってね。
普段、大塚ニューコーポのメンバーといると
あんまり気付けないことなんだけど、
いやあ、着実に来てるわ、結婚&出産ラッシュ。
なんというかな、
具体的に日付が決まっているとかじゃないのよ。
むしろ、決まってないにもかかわらず、
「まあ、今の相手と次はもうそろそろ結婚かな」
みたいなことを自然と匂わせてくるあの感じね。
人として段階を踏んで生きている以上、
当然踏むべき手はずとして結婚や妊娠が
視野に入ってきてますよねうちら、みたいな。
意外とそういうところ堅実だな神奈川県民!
というのが偽らざる私の感想であって。
だって、結婚するってことはもう恋愛もセックスも
自由にしてはいけないってことだよ。
自分や相手が心変わりしないという保証と信頼を、
なぜたかだか27歳にして持てるのか。
けっこう本気でわからない虫が今、ここに一匹いるわけ。
みなさん、「自分には人並みの結婚生活が送れる」という
その漠然とした確信はどこから湧いてくるの?
というのを聞きたくて、とうとう聞けなかった福田なのです。
ま、虫なんで聞きたい以前にしゃべれなかったわけですけど。
*****
しかしでもあれだよ。
私が何よりも感動したのは、
虫になってしまったという信じがたい事態にもかかわらず、
同級生たちがこれまでとさほど変わらず
私のことを受け入れてくれたことだ。
みんな私のことを昆虫だとは見なさず、
虫けら同然の人間として扱ってくれた。
「大丈夫だよ、前から虫みたいなところあったし」
「虫になって、むしろしっくりくる感じだよね」
「今まで虫じゃなかったことが不思議なくらいだよ」
「あれ、ていうかとっくに虫だと思ってた」
みんな、私のことを傷つけまいと必死でフォローしてくれる。
私の生態を察してか、会話の中に不用意に
「駆除」「キンチョール」「触角が取れる」
といったフレーズが出てくるのを避けているのがわかるが、
その他はこれまでと変わらずに接してくれている。
みんな、ありがとう。
*****
夜は部員同士で結婚した夫婦の家に泊まりに行ったのだが、
翌朝、玄関先にカブトムシの頭が
いくつも転がっていておったまげた。
え、なに?
なんかのサインなの?
ドリカム的に言えば、
「カブトの頭5体陳列 シ・ン・デ・イ・ルのサイン」なの?
もしや、これが昆虫界の通信手段?
虫になった私に、虫神様(そんなのいるのか知らんが)からの
ムシムシテレフォン(そんなの以下略)なのか?
テキパキとパニックに陥りそうになったのもつかの間、
家人に聞けば、夏に入ってからなんとほぼ毎朝、
カブトムシの頭部だけが落ちているのだという。
たぶん、猫やアライグマなどの動物の仕業だろう、とのこと。
そりゃあ、佐川急便のお兄ちゃんが不在連絡票の代わりに
カブトの頭をへし折って玄関に置いていたらすごく嫌なので、
ここはなんとしても動物の仕業であってほしいのだが、
するとあれか、カブトムシを食べる動物にとって、
あのツノの部分はエビフライでいうところの尻尾、
ローストチキンでいうところのアルミホイルなのね。
たぶん、ツノの部分を手で持って食べるんだろう。
いやーん、かわいい。
それよりも、毎朝食べ残せるほどたくさんの野生のカブトが
大船に生息していたことに一抹の驚きを禁じ得ないよ。
「え、カントリーマァムって白あんが入ってるの?」くらいの小さい驚きだけど。
俺も食べられないように気を付けなければ。
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第02回「ウスバフクダカゲロウ」
- 2010.08.11 Wednesday
- 福田の蜻蛉日記
福田の蜻蛉日記~すばらしきバグズライフ~
第02回「ウスバフクダカゲロウ」
【某月某日】
弱った。
なにが弱ったって、朝目覚めたら
自分が虫になっていたのである。
そりゃあ弱るだろう。
あらためて自分の体を見回してみるが、
手足をはじめ、体は硬い甲羅のような
骨格で覆われていて動きにくいし、
背中にはカゲロウのような
大きな羽が生えており背筋が痛い。
ベッドの脇に立てかけられた姿見に
映った自分の醜悪な姿を見た瞬間、
普段なら恥ずかしくて叫べない松田優作の
あのセリフが、思わず口をついて出る。
「ジージジジ、ジーーーーッジジジ!」
…出なかった。
「なんじゃ、こりゃあああああああ!」
と叫んだつもりだったが、実際には
腹弁にある発音膜が震えただけだったのだ。
いよいよ自分が人間ではなくなったことを実感し、
心の底から本格的にほとほと弱ってきた。
わざわざ弱らなくたって
そもそも弱いのが虫という存在だ。
吹けば飛ぶし、叩けば潰れるし、
「網戸に虫こない」と断言されたらもう網戸にも行けない。
そんな理不尽なまでの脆弱体質をほしいままにしている
あの虫に、まさか自分がなってしまうなんて。
…ああ、先週の今頃は、のんきに
『借りぐらしのアリエッティ』観てたのになあ。
アリエッティ、想像してたのとだいぶ違ったなあ。
他人の家の軒下で暮らす小人の話だっていうから、
俺はもっとこう、ダンボールで雨風をしのぐテクニックや、
賞味期限切れの弁当で食あたりを防ぐコツ、
ネットカフェで仕事と素敵な恋を探す方法などが、
吾妻ひでお似の主人公(身長はひざ丈くらい)によって
訥々と語られる、松江哲明とかが監督の
ドキュメンタリーだと思ってたのに。
なんのことはない、ちっちゃい泥棒の話だった。
南くんの恋人にルパン風味を織り交ぜてた。
「神は細部に宿る」と言うが、小人目線から見た世界の作り込みはさすが。
でも、その細部の豊饒さだけで90分押し切った印象はぬぐえず、
物語の骨格はグラグラだったように思う。
とはいえ、ジブリ作品って実は全然ウェルメイドじゃなくて、
あからさまな飛躍や破綻を平気でストーリーに盛り込んでくるでしょ。
『千と千尋』しかり、『ポニョ』しかり、けっこう本気でわけわかんないし。
あの名作『トトロ』だって、大人になってから初めて観ていたら、
たぶん「え、なに?」みたいな腑に落ちない点がけっこうあると思うんだよね。
ただ、直感的に子どもをワクワクさせる圧倒的な魅力だけがある。
『アリエッティ』も、おそらくそういった愛され方をする
『トトロ』に似たタイプの作品になるのではないでしょうか。
それに、今なら私にはわかる。
この映画は、“虫目線”から見た世界をきわめて
忠実に代弁した、数少ない貴重な映画である。
あの頃の私は、まだまだ「人間」としての驕った立場から
この映画を観ていたから気付かなかったのだ。
アリエッティと半ば同じ境遇になった今、
私は彼女の身の上にいたく感情移入している。
私なら、この作品のタイトルをこう名付けるだろう。
「虫はつらいよ~ゴキブリ少女のてなもんや放浪記~」
第02回「ウスバフクダカゲロウ」
【某月某日】
弱った。
なにが弱ったって、朝目覚めたら
自分が虫になっていたのである。
そりゃあ弱るだろう。
あらためて自分の体を見回してみるが、
手足をはじめ、体は硬い甲羅のような
骨格で覆われていて動きにくいし、
背中にはカゲロウのような
大きな羽が生えており背筋が痛い。
ベッドの脇に立てかけられた姿見に
映った自分の醜悪な姿を見た瞬間、
普段なら恥ずかしくて叫べない松田優作の
あのセリフが、思わず口をついて出る。
「ジージジジ、ジーーーーッジジジ!」
…出なかった。
「なんじゃ、こりゃあああああああ!」
と叫んだつもりだったが、実際には
腹弁にある発音膜が震えただけだったのだ。
いよいよ自分が人間ではなくなったことを実感し、
心の底から本格的にほとほと弱ってきた。
わざわざ弱らなくたって
そもそも弱いのが虫という存在だ。
吹けば飛ぶし、叩けば潰れるし、
「網戸に虫こない」と断言されたらもう網戸にも行けない。
そんな理不尽なまでの脆弱体質をほしいままにしている
あの虫に、まさか自分がなってしまうなんて。
…ああ、先週の今頃は、のんきに
『借りぐらしのアリエッティ』観てたのになあ。
アリエッティ、想像してたのとだいぶ違ったなあ。
他人の家の軒下で暮らす小人の話だっていうから、
俺はもっとこう、ダンボールで雨風をしのぐテクニックや、
賞味期限切れの弁当で食あたりを防ぐコツ、
ネットカフェで仕事と素敵な恋を探す方法などが、
吾妻ひでお似の主人公(身長はひざ丈くらい)によって
訥々と語られる、松江哲明とかが監督の
ドキュメンタリーだと思ってたのに。
なんのことはない、ちっちゃい泥棒の話だった。
南くんの恋人にルパン風味を織り交ぜてた。
「神は細部に宿る」と言うが、小人目線から見た世界の作り込みはさすが。
でも、その細部の豊饒さだけで90分押し切った印象はぬぐえず、
物語の骨格はグラグラだったように思う。
とはいえ、ジブリ作品って実は全然ウェルメイドじゃなくて、
あからさまな飛躍や破綻を平気でストーリーに盛り込んでくるでしょ。
『千と千尋』しかり、『ポニョ』しかり、けっこう本気でわけわかんないし。
あの名作『トトロ』だって、大人になってから初めて観ていたら、
たぶん「え、なに?」みたいな腑に落ちない点がけっこうあると思うんだよね。
ただ、直感的に子どもをワクワクさせる圧倒的な魅力だけがある。
『アリエッティ』も、おそらくそういった愛され方をする
『トトロ』に似たタイプの作品になるのではないでしょうか。
それに、今なら私にはわかる。
この映画は、“虫目線”から見た世界をきわめて
忠実に代弁した、数少ない貴重な映画である。
あの頃の私は、まだまだ「人間」としての驕った立場から
この映画を観ていたから気付かなかったのだ。
アリエッティと半ば同じ境遇になった今、
私は彼女の身の上にいたく感情移入している。
私なら、この作品のタイトルをこう名付けるだろう。
「虫はつらいよ~ゴキブリ少女のてなもんや放浪記~」
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第01回「チャバネフクダゴキブリ」
- 2010.08.01 Sunday
- 福田の蜻蛉日記
福田の蜻蛉日記~すばらしきバグズライフ~
第01回「チャバネフクダゴキブリ」
*****
【某月某日】
大塚から早稲田に引っ越して半年経って、
何がいけすかないって、部屋に
ゴキブリが出るようになったことだ。
狭い狭い6.5畳のワンルームに
レギュラーサイズのゴキブリが出没すると、
広い部屋よりも、必然的にゴキブリの占有率が高くなるわけで、
人間様が月収の1/3の家賃を払ってやっとこ住んでいる牙城に、
わずかでもあんなキャラメリゼした松崎しげるの皮膚みたいな
生物をタダで間借りさせているかと思うと、
これはもう相当にいけすかない事態だ。
パッケージでそこそこかわいいと思って借りた
AVの女優が、中を観てみたら
「フジの高橋真麻アナそっくり」
だったとき以上にいけすかない。
で、仕方がないから前足をこすりあわせつつ
近所のドラッグストアに向かい、
「虫にきびしく、人にやさしい」という
キャッチフレーズが書かれた殺虫スプレーを購入。
なんでも、ゴキブリの通り道にあらかじめ
噴霧しておくだけでも殺虫効果があるという。
さっそく、部屋の壁づたいに「憤怒!」という勢いで噴霧し、
これで今年の夏はゴキエッティを借り暮らしさせるまい、
と溜飲を下したのもつかの間。
なんかさ、鼻水が止まらないのね。
かんでもかんでも「もう出てくるの?」みたいな、
ねづっちのなぞかけのような信心深いテンポで
鼻水がこみ上げてくるのである。
もうね、クヌギの樹液のようなこみ上げ方なんですよ。
思わず「おいしそう」とすら思いましたね。
「人にやさしい」と書いてあったはずなのに、
この殺虫スプレーは、なぜこんなにも俺にきびしいのか。
まったくもって、いけすかない。
フジの高橋真麻アナ本人よりもいけすかない。
思わず街灯にたかりたくなる気持ちを抑えながら、
その日はさなぎのように眠りについた私なのだった。
*****
第01回「チャバネフクダゴキブリ」
無難に日記を書こうと思った。
『大塚ニューコーポ』の連載コラムの更新が止まって早一年。
企画を立てては潰し、書いてはフェードアウトしてきた私が、
どうにか連載の体をなして何かを書かせてもらえるとしたら、
もはや日記でお茶を濁すくらいしか続けられる手立てはないと思ったのだ。
幸い、面白くもない日常をいじりたおすことなら、
これまでにもさんざん書いてきた。
ていうか、そういうことしか書いたことがない。
できるかわからないことを始めて、案の定
頓挫させてしまうのがこれまでの人生だったのだから、
できるとわかっていることを地道に続けるのは、
もうすぐ30歳になってしまう男の前向きな
あきらめ方として、もっとも相応しいのではないか。
私は、そういう人間なのだ。
いや、「人間」だったのだ。
あの日の、あの朝までは。
*****
【某月某日】
大塚から早稲田に引っ越して半年経って、
何がいけすかないって、部屋に
ゴキブリが出るようになったことだ。
狭い狭い6.5畳のワンルームに
レギュラーサイズのゴキブリが出没すると、
広い部屋よりも、必然的にゴキブリの占有率が高くなるわけで、
人間様が月収の1/3の家賃を払ってやっとこ住んでいる牙城に、
わずかでもあんなキャラメリゼした松崎しげるの皮膚みたいな
生物をタダで間借りさせているかと思うと、
これはもう相当にいけすかない事態だ。
パッケージでそこそこかわいいと思って借りた
AVの女優が、中を観てみたら
「フジの高橋真麻アナそっくり」
だったとき以上にいけすかない。
で、仕方がないから前足をこすりあわせつつ
近所のドラッグストアに向かい、
「虫にきびしく、人にやさしい」という
キャッチフレーズが書かれた殺虫スプレーを購入。
なんでも、ゴキブリの通り道にあらかじめ
噴霧しておくだけでも殺虫効果があるという。
さっそく、部屋の壁づたいに「憤怒!」という勢いで噴霧し、
これで今年の夏はゴキエッティを借り暮らしさせるまい、
と溜飲を下したのもつかの間。
なんかさ、鼻水が止まらないのね。
かんでもかんでも「もう出てくるの?」みたいな、
ねづっちのなぞかけのような信心深いテンポで
鼻水がこみ上げてくるのである。
もうね、クヌギの樹液のようなこみ上げ方なんですよ。
思わず「おいしそう」とすら思いましたね。
「人にやさしい」と書いてあったはずなのに、
この殺虫スプレーは、なぜこんなにも俺にきびしいのか。
まったくもって、いけすかない。
フジの高橋真麻アナ本人よりもいけすかない。
思わず街灯にたかりたくなる気持ちを抑えながら、
その日はさなぎのように眠りについた私なのだった。
*****
翌朝、腹側部の呼吸孔に息苦しさを覚えて
目を覚ました私は、寝ぼけまなこをこすろうとして
その目が複眼であることに気付き、ギョッとした。
自分が虫になっていたことを理解したのは、それから5分後のことだ。
その日から、私の「リアル・バグズライフ」が始まったのである。
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大塚ニューコーポ一周年に寄せて
- 2010.01.25 Monday
- お知らせ
ご無沙汰しております。福田フクスケです。
このたび、2010年1月25日を持ちまして、webサイト『大塚ニューコーポ』は開設一周年を迎えました。
この間、一度でもサイトのコンテンツをご覧いただいた皆様には、厚く御礼申し上げます。
一周年を迎えた感想を一言で申し上げますと、
「いまだかつて、こんなにも人目に触れないサイトがあっただろうか」
というのが正直なところです。
いや、確かにここ半年間のサイト更新頻度には、非常に心もとないものがありました。
ここ最近は、定期的に更新されるコンテンツといえば、MSTとフクスケによるラジオ番組のみ。
そりゃあアクセス数もページビュー数も伸びないだろうという自覚と懺悔はありますよ。
それはもう、元気よく「ごめんなさいね!」と言うしかないです。
でもね、少なくともオープンから半年の間のコンテンツは、そこそこに充実していた自負だってあるんです我われには。
かなりがんばって毎日どこかしら更新してました。
にもかかわらず、まあ見られてる気がしない。さっぱりしない。
アクセス解析しても、「女性器」とか「オナニー」とか、
まあエロ目的の奴しか網にかかってきませんでしたわ。
あと「男の尻」目的の奴もようけ引っかかってきましたわ。
「お前、そんなざっくりした検索の仕方で、
ちゃんといつも見たいもの探せてるのか?」
逆に心配になるくらいですわ。
ことほどさように、大塚ニューコーポの歩んできた一年間は、
広大なるネット空間において、孤軍奮闘おもしろいことをしていることを
誰からも見つけてもらえない空しさとの、戦いとあがきの歴史だったのです。
もうこんな空しい戦いは嫌だ。
そう思ったから…かどうかはわかりませんが、
私たちは開設一周年を記念して、新たな悪あがきをしてみたいと思います。
その“悪あがき”とは…
大塚ニューコーポのフリーペーパーを作ります!
これまでの連載コンテンツの再録やダイジェストのほか、
紙媒体だけの新作コンテンツも盛りだくさん!
大塚ニューコーポの活動実態がわかる16Pオールカラー!
近日発行!
都内各所で配布予定!!
乞うご期待!!!
Coming soon!!!!
2010年、大塚ニューコーポの新たな動きにご期待ください。
このたび、2010年1月25日を持ちまして、webサイト『大塚ニューコーポ』は開設一周年を迎えました。
この間、一度でもサイトのコンテンツをご覧いただいた皆様には、厚く御礼申し上げます。
一周年を迎えた感想を一言で申し上げますと、
「いまだかつて、こんなにも人目に触れないサイトがあっただろうか」
というのが正直なところです。
いや、確かにここ半年間のサイト更新頻度には、非常に心もとないものがありました。
ここ最近は、定期的に更新されるコンテンツといえば、MSTとフクスケによるラジオ番組のみ。
そりゃあアクセス数もページビュー数も伸びないだろうという自覚と懺悔はありますよ。
それはもう、元気よく「ごめんなさいね!」と言うしかないです。
でもね、少なくともオープンから半年の間のコンテンツは、そこそこに充実していた自負だってあるんです我われには。
かなりがんばって毎日どこかしら更新してました。
にもかかわらず、まあ見られてる気がしない。さっぱりしない。
アクセス解析しても、「女性器」とか「オナニー」とか、
まあエロ目的の奴しか網にかかってきませんでしたわ。
あと「男の尻」目的の奴もようけ引っかかってきましたわ。
「お前、そんなざっくりした検索の仕方で、
ちゃんといつも見たいもの探せてるのか?」
逆に心配になるくらいですわ。
ことほどさように、大塚ニューコーポの歩んできた一年間は、
広大なるネット空間において、孤軍奮闘おもしろいことをしていることを
誰からも見つけてもらえない空しさとの、戦いとあがきの歴史だったのです。
もうこんな空しい戦いは嫌だ。
そう思ったから…かどうかはわかりませんが、
私たちは開設一周年を記念して、新たな悪あがきをしてみたいと思います。
その“悪あがき”とは…
大塚ニューコーポのフリーペーパーを作ります!
これまでの連載コンテンツの再録やダイジェストのほか、
紙媒体だけの新作コンテンツも盛りだくさん!
大塚ニューコーポの活動実態がわかる16Pオールカラー!
近日発行!
都内各所で配布予定!!
乞うご期待!!!
Coming soon!!!!
2010年、大塚ニューコーポの新たな動きにご期待ください。
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第23回 「ノーリーズン・ノーライフ」
- 2009.09.01 Tuesday
- デリカシーには貸しがある
第23回 「ノーリーズン・ノーライフ」
…まあ、その、あれだ。
1カ月ほど、「作者取材のため休載していた」ということにしといてはもらえないだろうか。
文頭がいきなりしどろもどろで始まる。
このコラムは、そんな斬新さを常に小脇に抱えながらお送りしているおしゃれな連載である。
昔、「小脇に抱えていいのはセカンドバッグだけ!」という標語を『少年ジャンプ』か何かで読んだことがあるが、知ったことではない。
ひょっとすると、「鳥山先生の漫画が読めるのはジャンプだけ!」の間違いだったような気もするが、同じことだ。
だから、「連載を落とし続けた」という事実を、
「取材のため休載していた」というおしゃれな筋書きに無理やり書き換えても、
みんなひっそりとスルーしてくれるのではないか。
そんな期待で私の胸は今、いっぱいである。
漫画雑誌では、「作者取材のため休載します」という一文をよく見かけるが、
そもそも、連載を落としてしまうことに、理由なんてあるのだろうか。
…いや、そりゃあるだろうけど、そういつもいつも合理的で、
明確な理由で連載を落とすことなんて、ないのではないか。
中には、本当に取材している人もいるだろうが、
たいていは「締め切りにどうしても間に合わなくて」とか、
「単行本の修正作業で連載どころじゃなくて」とか、
そんな理由がほとんどだろう。
「ただなんとなく気が乗らなくて、眠くてしょうがないので寝てしまった」とか、
「おもしろいことを思いつく気がしなかったので、締め切りを見送った」とか、
そんな理由だって、じゅうぶん連載を落とす理由になる。
「太陽が黄色かったから」人を殺した『異邦人』のムルソー。
「出前のカレーが辛かったから」リハをキャンセルしたYOSHIKI。
「急にボールが来たので」決定的チャンスを外した柳沢。
何かをしたり、あるいはしなかったりする理由や動機なんて、そんなものだ。
みんな、そこまで確固たる根拠や決め手があって、行動しているわけではない。
そうではなく、逆に「してしまった」「しなかった」結果の方が先にあって、
それに対して、周囲を納得させたり、周囲が勝手に納得したいがために
「落としどころ」が必要で、そのために理由や根拠は用意されるだけではないのか。
たとえば一時期、のりピーがクラゲのマネをしたり、「ぽぽぽー」と歌う
インタビュー映像が、何度も繰り返し繰り返し
トランスミュージックのように流れていたが、
そんなもの鬼の首とったように見せられても、
「ああ…テンション高いね」という感想以外に
何の判断材料にもならないのが正直なところである。
あんなんで「ヤバイ」って言ってたら、山田優の弟はどうなるんだ。
こういうのって、犬がうるさく吠えていただけなのに、
たまたま大地震が起きたから「予知した」って騒がれるのに似てないか?
犬は、本当に地震を予知して吠えていたのかもしれないが、
それはすでに地震が起きたから言えることであって、
「ほらね、やっぱりおかしかったでしょ」と言うのは
後出しじゃんけんって感じがするのな。
選挙で民主党が大勝した理由だって、
大勝した後だからもっともらしいことを言えるが、
実際のところ最大の理由は、「テレビ報道が政権交代ムードを煽っていたから」でしょ。
それにしたって、ここまで極端に大差がつくというのは、
合理的な根拠や理由では説明できないわけで、
民意がいかに気分に流されるかってことの証明にしかならない。
「あの人はB型だから…」
「彼って草食男子だし…」
「私って、朝ダメな人じゃないですか…」
「ゲイだから…」
「愛人体質だから…」
「心に闇があるから…」
「エチオピア人だから…」
「人間だもの…」
“すでにある定型文”にあてはめて
自分や他人の心を説明しようとするのは便利だが、
物事にあんまり理由や根拠を求めすぎると、本質を見失うのではないかと思う。
しかし、そうかと思えば押尾学のように、
「六本木」「女」「合成麻薬」といった
“いかにも”なシチュエーションから、
「自分だけ部屋から逃げちゃう」という
“いきがってるのにまぬけ”なニュアンスまで、
世間が作り上げた「押尾学っぽさ」の“定型文”に、
自分からぴったりあてはまってしまうような事件を起こす人もいる。
彼に関してだけは、「だって押尾学だから」という
理由ですべて済ませていいような気もするが、
彼もまた、そういった作られた「理由」の犠牲者だと言えないこともなくもない。
いずれにしろ、今日もどこかで日々、それらしい「理由」が生み出され、
その「理由」に背中を押されて、我々は行動したり事件を起こすのであろう。
というわけで、連載を落とし続けてすみませんでした。
だって…
ポケモンラリーの家族連れが……
幸せそうだったから………。
…まあ、その、あれだ。
1カ月ほど、「作者取材のため休載していた」ということにしといてはもらえないだろうか。
文頭がいきなりしどろもどろで始まる。
このコラムは、そんな斬新さを常に小脇に抱えながらお送りしているおしゃれな連載である。
昔、「小脇に抱えていいのはセカンドバッグだけ!」という標語を『少年ジャンプ』か何かで読んだことがあるが、知ったことではない。
ひょっとすると、「鳥山先生の漫画が読めるのはジャンプだけ!」の間違いだったような気もするが、同じことだ。
だから、「連載を落とし続けた」という事実を、
「取材のため休載していた」というおしゃれな筋書きに無理やり書き換えても、
みんなひっそりとスルーしてくれるのではないか。
そんな期待で私の胸は今、いっぱいである。
漫画雑誌では、「作者取材のため休載します」という一文をよく見かけるが、
そもそも、連載を落としてしまうことに、理由なんてあるのだろうか。
…いや、そりゃあるだろうけど、そういつもいつも合理的で、
明確な理由で連載を落とすことなんて、ないのではないか。
中には、本当に取材している人もいるだろうが、
たいていは「締め切りにどうしても間に合わなくて」とか、
「単行本の修正作業で連載どころじゃなくて」とか、
そんな理由がほとんどだろう。
「ただなんとなく気が乗らなくて、眠くてしょうがないので寝てしまった」とか、
「おもしろいことを思いつく気がしなかったので、締め切りを見送った」とか、
そんな理由だって、じゅうぶん連載を落とす理由になる。
「太陽が黄色かったから」人を殺した『異邦人』のムルソー。
「出前のカレーが辛かったから」リハをキャンセルしたYOSHIKI。
「急にボールが来たので」決定的チャンスを外した柳沢。
何かをしたり、あるいはしなかったりする理由や動機なんて、そんなものだ。
みんな、そこまで確固たる根拠や決め手があって、行動しているわけではない。
そうではなく、逆に「してしまった」「しなかった」結果の方が先にあって、
それに対して、周囲を納得させたり、周囲が勝手に納得したいがために
「落としどころ」が必要で、そのために理由や根拠は用意されるだけではないのか。
たとえば一時期、のりピーがクラゲのマネをしたり、「ぽぽぽー」と歌う
インタビュー映像が、何度も繰り返し繰り返し
トランスミュージックのように流れていたが、
そんなもの鬼の首とったように見せられても、
「ああ…テンション高いね」という感想以外に
何の判断材料にもならないのが正直なところである。
あんなんで「ヤバイ」って言ってたら、山田優の弟はどうなるんだ。
こういうのって、犬がうるさく吠えていただけなのに、
たまたま大地震が起きたから「予知した」って騒がれるのに似てないか?
犬は、本当に地震を予知して吠えていたのかもしれないが、
それはすでに地震が起きたから言えることであって、
「ほらね、やっぱりおかしかったでしょ」と言うのは
後出しじゃんけんって感じがするのな。
選挙で民主党が大勝した理由だって、
大勝した後だからもっともらしいことを言えるが、
実際のところ最大の理由は、「テレビ報道が政権交代ムードを煽っていたから」でしょ。
それにしたって、ここまで極端に大差がつくというのは、
合理的な根拠や理由では説明できないわけで、
民意がいかに気分に流されるかってことの証明にしかならない。
「あの人はB型だから…」
「彼って草食男子だし…」
「私って、朝ダメな人じゃないですか…」
「ゲイだから…」
「愛人体質だから…」
「心に闇があるから…」
「エチオピア人だから…」
「人間だもの…」
“すでにある定型文”にあてはめて
自分や他人の心を説明しようとするのは便利だが、
物事にあんまり理由や根拠を求めすぎると、本質を見失うのではないかと思う。
しかし、そうかと思えば押尾学のように、
「六本木」「女」「合成麻薬」といった
“いかにも”なシチュエーションから、
「自分だけ部屋から逃げちゃう」という
“いきがってるのにまぬけ”なニュアンスまで、
世間が作り上げた「押尾学っぽさ」の“定型文”に、
自分からぴったりあてはまってしまうような事件を起こす人もいる。
彼に関してだけは、「だって押尾学だから」という
理由ですべて済ませていいような気もするが、
彼もまた、そういった作られた「理由」の犠牲者だと言えないこともなくもない。
いずれにしろ、今日もどこかで日々、それらしい「理由」が生み出され、
その「理由」に背中を押されて、我々は行動したり事件を起こすのであろう。
というわけで、連載を落とし続けてすみませんでした。
だって…
ポケモンラリーの家族連れが……
幸せそうだったから………。
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