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デリカシーの機微が問われる現代社会のさまざまな局面に、ぼんやりと警鐘を鳴らす無神経なコラム。

第23回 「ノーリーズン・ノーライフ」

第23回 「ノーリーズン・ノーライフ」

…まあ、その、あれだ。
1カ月ほど、「作者取材のため休載していた」ということにしといてはもらえないだろうか。

文頭がいきなりしどろもどろで始まる。
このコラムは、そんな斬新さを常に小脇に抱えながらお送りしているおしゃれな連載である。
昔、「小脇に抱えていいのはセカンドバッグだけ!」という標語を『少年ジャンプ』か何かで読んだことがあるが、知ったことではない。
ひょっとすると、「鳥山先生の漫画が読めるのはジャンプだけ!」の間違いだったような気もするが、同じことだ。

だから、「連載を落とし続けた」という事実を、
「取材のため休載していた」というおしゃれな筋書きに無理やり書き換えても、
みんなひっそりとスルーしてくれるのではないか。
そんな期待で私の胸は今、いっぱいである。

漫画雑誌では、「作者取材のため休載します」という一文をよく見かけるが、
そもそも、連載を落としてしまうことに、理由なんてあるのだろうか。
…いや、そりゃあるだろうけど、そういつもいつも合理的で、
明確な理由で連載を落とすことなんて、ないのではないか。

中には、本当に取材している人もいるだろうが、
たいていは「締め切りにどうしても間に合わなくて」とか、
「単行本の修正作業で連載どころじゃなくて」とか、
そんな理由がほとんどだろう。

「ただなんとなく気が乗らなくて、眠くてしょうがないので寝てしまった」とか、
おもしろいことを思いつく気がしなかったので、締め切りを見送った」とか、
そんな理由だって、じゅうぶん連載を落とす理由になる。

「太陽が黄色かったから」人を殺した『異邦人』のムルソー。
「出前のカレーが辛かったから」リハをキャンセルしたYOSHIKI。
「急にボールが来たので」決定的チャンスを外した柳沢。

何かをしたり、あるいはしなかったりする理由や動機なんて、そんなものだ。
みんな、そこまで確固たる根拠や決め手があって、行動しているわけではない。

そうではなく、逆に「してしまった」「しなかった」結果の方が先にあって、
それに対して、周囲を納得させたり、周囲が勝手に納得したいがために
「落としどころ」が必要で、そのために理由や根拠は用意されるだけではないのか。

たとえば一時期、のりピーがクラゲのマネをしたり、「ぽぽぽー」と歌う
インタビュー映像が、何度も繰り返し繰り返し
トランスミュージックのように流れていたが、
そんなもの鬼の首とったように見せられても、
「ああ…テンション高いね」という感想以外に
何の判断材料にもならないのが正直なところである。
あんなんで「ヤバイ」って言ってたら、山田優の弟はどうなるんだ。

こういうのって、犬がうるさく吠えていただけなのに、
たまたま大地震が起きたから「予知した」って騒がれるのに似てないか?
犬は、本当に地震を予知して吠えていたのかもしれないが、
それはすでに地震が起きたから言えることであって、
「ほらね、やっぱりおかしかったでしょ」と言うのは
後出しじゃんけんって感じがするのな。

選挙で民主党が大勝した理由だって、
大勝した後だからもっともらしいことを言えるが、
実際のところ最大の理由は、「テレビ報道が政権交代ムードを煽っていたから」でしょ。
それにしたって、ここまで極端に大差がつくというのは、
合理的な根拠や理由では説明できないわけで、
民意がいかに気分に流されるかってことの証明にしかならない。

「あの人はB型だから…」
「彼って草食男子だし…」
「私って、朝ダメな人じゃないですか…」
「ゲイだから…」
「愛人体質だから…」
「心に闇があるから…」
「エチオピア人だから…」
「人間だもの…」

“すでにある定型文”にあてはめて
自分や他人の心を説明しようとするのは便利だが、
物事にあんまり理由や根拠を求めすぎると、本質を見失うのではないかと思う。

しかし、そうかと思えば押尾学のように、
「六本木」「女」「合成麻薬」といった
“いかにも”なシチュエーションから、
「自分だけ部屋から逃げちゃう」という
“いきがってるのにまぬけ”なニュアンスまで、
世間が作り上げた「押尾学っぽさ」の“定型文”に、
自分からぴったりあてはまってしまうような事件を起こす人もいる。

彼に関してだけは、「だって押尾学だから」という
理由ですべて済ませていいような気もするが、
彼もまた、そういった作られた「理由」の犠牲者だと言えないこともなくもない。

いずれにしろ、今日もどこかで日々、それらしい「理由」が生み出され、
その「理由」に背中を押されて、我々は行動したり事件を起こすのであろう。

というわけで、連載を落とし続けてすみませんでした。

だって…

ポケモンラリーの家族連れが……

幸せそうだったから………。

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