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デリカシーの機微が問われる現代社会のさまざまな局面に、ぼんやりと警鐘を鳴らす無神経なコラム。

アーカイブ: 2011/07

『ぴあ』休刊に寄せて ~福田サゲチン伝説 エピソード0~


どうも、ご無沙汰してます。
福田フクスケです。

雑誌が冬の時代と言われて久しいですね。

ここ数年、休刊になった雑誌を挙げれば枚挙にいとまがないです。


ダカーポ、ヤングサンデー、スタジオボイス、
広告批評、TOKYO1週間、スタジオボイス、
あと、スタジオボイ……


まあ正直パッと思いつくのはそれくらいですけれども、
それくらいだからこそ休刊しちゃうわけです。


でも、まさかこの雑誌がなくなるとは誰が予想したでしょうか。


ぴあ。
ぴあ最終号


いや、まあ数年前に週刊から隔週刊になったときから、
なんとなくうすうす予想はしてたけど。
情報誌ヤバそうだなあ、とは思っていたけど。


でも、80年代に「情報を売る」という
消費スタイルをいち早く確立させ、

小劇場演劇をはじめとするエンタメ興業の流通のあり方を一変させた
エポックメイカーとしての功績は大きいわけじゃない。

エボリューショナーだったわけじゃない。

ペレストロイカーだったわけじゃない。


そんな『ぴあ』が休刊すると聞けば、寂寞感もひとしおです。


だってね、何を隠そうこの私・福田フクスケの
コラムニストとしての商業誌デビューは
この『ぴあ』だったんですよ!



今ではもう『ぴあ』自身ですら
“なかったこと”にしていると思いますが、
かつて「ぴあコラム大賞」というものがあってですね。

全国から広くコラムニスト志望者の原稿を募り、
大賞受賞者には『ぴあ』本誌で連載権がもらえるという、
それは夢のような公募コンテストがあったわけです。

…まあ今となっては本当に夢だったんじゃないかと思ってますけれども。


その第2回で私、見事に大賞をいただきまして、
2003年の半年間、『お前のバカで目が覚める!』
というコラムを毎週連載してたんですよ。

ただ一介の大学生ふぜいが、
ちゃんと原稿料もらって、
あの『ぴあ』に。


そりゃあ嬉しかったよね。
たぶんこのときの連載経験がなかったら、
そのあと編集やってフリーライターになるって
道を歩むこともなかったと思います。

それがよかったか悪かったかは別にしてですけどね!


だから、こうして今の俺がいるのは、
本当に『ぴあ』のおかげなんです。

いい意味でも悪い意味でもですけどね!


ただまあ、こっからが「福田チューインガム伝説」の始まりであり、
「福田サゲチン劇場」の幕開けなんですけれども。


こんな千載一遇のチャンスをものにしたにもかかわらず、
大した反響もなく、ふわっとした理由で
ぼかされて
連載は半年で終了します。

ちなみに余談ですが、
第1回の大賞受賞者である山田スイッチさんは、
1年間続いた連載が見事単行本化。
その後、単著も数冊出されています。

山田スイッチの場合


一方、その後漠然と物書きをしたいなあと思いつつも
執筆も売り込みもきちんとしていなかった私は、

「ぴあ連載」という絶好のセールスポイントを
次の仕事につなげることができず、

何の糸口もつかめないまま
あれよあれよという間に就活時期を迎え、
一社だけ受けたマガジンハウスに最終選考であえなく不合格。


ようやく焦ったところで、もはやどこも採用募集などしておらず、
かろうじて秋口になっても募集を続けていた
都内の某編集プロダクションへすべりこみ就職。

忙殺がデフォルトの業界体質ですっかり社畜色に染まり、
なんとそのまま5年間も漫然とい続けることになるのです。

福田フクスケの場合

ちなみに余談ですが、
ぴあコラム大賞は、私が受賞した翌年の第3回で、
募集のテンションが明らかにトーンダウン。

受賞者の連載スペースも目に見えて狭くなり、
とうとう翌年の募集は行われないまま、
賞自体が第3回で終了しました。


なんかこれ…俺のせいっぽくない?


だってさあ、普通に考えてすごいことだよ「ぴあに連載」って。
それが、わずか3年でみるみる賞レースとしての魅力を失い、
いまや誰もその存在を覚えていないって……。
そんなことある? 考えられる?


しかも、これはまあ考え過ぎだと思うんだけど、
なんとなくね、きもーち、心なしかではあるけど、

ちょうど俺が連載した頃からだったんじゃないかな…
『ぴあ』の雑誌としての勢いが衰え始めたのは……。


も、もちろん気のせいなんだけどさ!


かくして、「ぴあコラム大賞受賞」という賞歴の持つ
意味と輝きは、すみやかなテンポでみるみる色褪せていき、
私は今こうして、あっけらかんとゼロから
フリーライターとしての道を出直しているわけです。


今でも思います。
あのとき、連載の余勢を駆って
執筆と売り込みをちゃんとがんばって、
思いきってフリーになっていれば、

今、それなりの地位で楽できていたんじゃないかって。

福田フクスケの場合


だってね、本当にもう、こんなこと言いたくないんですけど、
当時の原稿を読み返してみたら、すごくおもしろいんだ。

よくこんなの毎週書けてたなあって、感心するもの。
「誰だこのおもしろい奴は」って、
自分のことなのに軽く乖離起こしますもの。


今、月1で連載してる『ポパイ』のコラムが
1年8か月かかってようやく20回目になるんだけど、
ギャグのセンスも切れ味も密度も、構成の凝り方も、
半年で24回書いた『ぴあ』のコラムに及んでいないと思う。

正直、あれと同じものはもう書けないよね。


よく、女性がヌード写真を撮るときに、
「いちばん若くてきれいな時を記録に残したかった」
とか言うでしょ。

素人ヌード

あれはさ、自分が40歳、50歳になってから
本当に大切な人に出会ってしまったときに、

若い頃の私を知ってほしい、
きれいだった私に欲情してほしいと思って、

きっとその写真を見せるわけじゃないですか。
それで自分もまた自信を取り戻すわけですよ。


その気持ち、今なら大いにわかるもの。
好きな人には自分の書いたおもしろいものは知ってほしいし、
たとえばこれから出会って結婚する女性がいるとして、
やっぱり読んでもらいたいもん、この原稿を。

生まれてくる子供にだって、

「パパはなあ、昔こんなおもしろコラムを…

…って、ごめん、ありえない夢を見て
思わず気分がしんみりしてしまったので、
話を元に戻すけれども。


ただね、当時の原稿をあらためて読んで、
俺はちょっとたまげましたね。

だって、芸能人や一流企業の固有名詞をバンバン出して、
揶揄・嘲笑のオンパレードなんだもの。
パレードっつうか、もはやデモ行進の勢いよ。

たとえば、一例をちょっと挙げてみましょうか。

米米クラブの無駄な人数の多さがそれなりの迫力を生んでいたように、京本政樹がモミアゲ込みで京本政樹であるように、足して足された自分の付加価値を寄せて上げてかき集めて、無理矢理Cカップくらいにしてあなたもなんとか生きているのでしょ?
(第六回「付加なんていらねぇよ、夏」より)


平井堅の顔のホリの深さに溜まった水を飲んで生き延びたとか、照英の顔の濃さで河川の透明度がちょっと下がったとか、室伏の顔のバタ臭さで出なかった母乳が出るようになったとか、各地からさまざまな報告が寄せられているとかいないとか。
(第七回「顔面濃度計の針を振り切れ!」より)
 

そもそもなんでソニンってあんなに見ていて痛々しいんだろうか。(中略)要するに一言で言えば、そう、無念。志半ばにしてユウキのせいで夢ついえた「EE JUMP」の無念を、ソニンは今も水子供養のように引きずり続けているように私には見えるのだ。もう名前もソニンやめて「ムネン」でいいような気がする。
(第九回「哀歌は背負うよ、どこまでも」より)



……ね?

何が「ね?」なのかわかんないけど、
とりあえず「これ、よく載ったな」の一言に尽きるよ。


『ぴあ』ってさあ、エンタメ情報誌じゃないすか。
芸能人や事務所や興業主の怒りを買ったら、死活問題だと思うわけ。

「オスカーのタレントの出演情報だけ載ってない」とか、
「研音のタレントだけ伏せ字になってる」とか、ありえないでしょ。

にもかかわらず、なにこの無骨なチャレンジ精神。
平和な大地に、無理やり敵を作って戦いを挑むようなこの所業。

もう少し、当時の原稿から引用してみましょうか。


いつも「ビバ無難」をスローガンに、バラエティ番組における恵俊彰の存在感のような、毒にも薬にもならない服装を心がけている。
(第十四回「着こなしませんシャツまでは」より)


これからは好きなタレントは菊川怜ですって言うからさ。台詞をしゃべっても司会をしても、すべて手に負えてないのにあんなにスカッと元気なのがいいよね。常に順調に最安値を更新しつつ、その安さ元手に無理矢理輝いてる大雑把な感じが痛々しく潔い。(中略)
底値でモテる。そんな菊川怜な生きかたこそ、現代人のはかない希望ではないだろうか。
(第十七回「TVショッピングのサクラに安いと叫ばれたい」より)


なかったことにしたいことを、あえて忘れない勇気も必要じゃないだろうか。
「昔SMAPにはね、森っていう子がいたんだよ・・・・・・」私は孫にそう語り継ぐ、後ぐされた年寄りになりたいのだ。
(第十九回「酔って消せない過去もある」より)



どうしたどうした!
討ち死にしたいのか、『ぴあ』!


怒られるって!
見つかったら絶対怒られるって!


森クンのこと言っていい雰囲気になったの、つい最近だよね?
それだって「※ただし、メンバーに限る」だよね?


私もあれから、ずるずると無駄に長く出版業界にいた。
だから、今ならわかります。

業界の大人の事情も知らない一介のバカ大学生に、
そんな事情の存在にとうとう最後まで気付かせず
自由に書かせてくれた、『ぴあ』の懐の深さ。

「おもしろくない」を理由に書き直しを食らったことはあっても、
「問題になるとまずいから」という理由で
修正させられたことは、ついに一度もありませんでした。

(正確には一度だけ、
キティちゃんに架空のインタビューをするという内容の回で、
マネージャーをこき使ったり、
ご当地キティのことを「地方のドサ回り」と言ったり、
「ミッキー捕まえて食いたい」と言ったり…
というネタを書いたとき、
「サンリオピューロランドは広告主だから」ということで
「○キティちゃん」「サ○リオ」「ピューロ○ンド」と
それぞれ伏せ字になった、ということはあったけど、
こんなん、俺が編集者だったらテーマごと書き直させてるよ・笑)

さんりお


そして、その当時、俺の担当をしてくれていた編集者こそ、
現在の『ぴあ』の最後の統括編集長だった…という事実。

なんか、ちょっと、いい話じゃないすか?


だから、たとえ私が生粋のサゲチンとしてじわじわと
『ぴあ』の運を下げ、休刊に追い込んだ遠因だったとしても、

『ぴあ』は私にとってエンタメ情報誌である以上に、
物書きとしての原点であり、古巣であり、学校であり、

あれ以来ちっとも構ってくれなかった(苦笑)、
ちょっと厳しい恩人なのです。


そんな『ぴあ』よ、
39年間、おつかれさまでした!


おつかれぴあ!

また書きたかったですけどね!



ちなみに、最終選考で落ちたマガジンハウスの面接官の中に、
俺のことをずっと覚えていてくれた人がいて、
その人がのちに『ポパイ』の編集長になって俺に連載を持たせてくれて、
結果的に今、ポパイをメインに仕事をさせてもらってる…というのも、
なんだか不思議な縁を感じる話です。

だから、『ポパイ』休刊…という縁起でもない事態だけは、
ギャグでも不吉すぎてそんな怖いこと書けません。

(文責・福田フクスケ)
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