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デリカシーの機微が問われる現代社会のさまざまな局面に、ぼんやりと警鐘を鳴らす無神経なコラム。
アーカイブ: 2009/02/23
第05回 「馬鹿になりたい!」
- 2009.02.23 Monday
- デリカシーには貸しがある
第05回 馬鹿になりたい!
馬鹿になれ!
偉大なるアントニオ猪木先生はかつてそう言ったが、
私は今、切実に馬鹿になって、何もかもが
わからなくなってしまいたい気持ちでいっぱいだ。
あのね。
こう見えて、かつて「第2回ぴあコラム大賞」を獲ってるんです、俺は。
で、天下の『Weeklyぴあ』に半年間、毎週コラムを連載してもいた。
結局、その賞は私の次の年の第3回で何の告知もなく廃止され、
それ以降、この経歴は特に俺に何の権威も影響力も及ぼさずに、
この通り現在に至るわけだけど、あの頃は、確かにがんばっていた。
がんばって、そして、おもしろかった。
馬鹿になれ!
猪木先生もそう思いながら読んでくださっていたのではないか。
このコラムは、そんな私がほぼ5年ぶりに書く連載コラムであって、
「まだ衰えちゃいないぜ」、もしくは
「衰えているかもしれないけど魂は死んでないぜ」、あるいは
「衰えているのでリハビリさせてください」という気持ちで毎回臨んでいる。
もちろん「馬鹿になれ!」ともだ。
少なくとも、「正しくくだらなくありたい」という思いは、折り目正しく常にシャキーンと持ち合わせているつもりだ。
でもね。
でもさ。
いつもそういうストイックな気持ちでいられたら、とっくにプロになってるよ。
「ぴあコラム大賞作家」と言われて、売れっ子になってございますよ。
デザイナーズ・チェアに裸の美女をはべらせて、ワイングラス片手に膝にはチェシャ猫を抱えてますよ。
腰にはトカちゃんクニちゃんベルトを巻いてますよ。巻いてませんよ。
それが現状そうなっていないのは、
俺が「ものわかりのいいプロ」になるくらいなら、
「はみ出し者のアマチュア」でいたいと、
心のどこかできっと思ってしまっているからだ。
たとえば、このコラムは世にはびこるデリカシーについて書くコラムであって、
プロならば、一度そう決めたからには、どんなときもしれっと
デリカシーに対して一家言ある風情を演じなければいけないのだろう。
しかし、今の私の正直な気分は、
「でりかしいいいい? なにそれええええええええええへへへへ(語尾が途中からグラデーションで薄ら笑いに変化)!」と、
よだれを垂らしながら、鼻くそをほじった指で
キーボードを叩きたい気持ちでいっぱいなのである。
キーボードには、食べこぼしたカントリーマアムのカスがボロボロしているのである。
それにアリがたかって行列を作っている。そのアリをアリクイがなめてる。
そのアリクイを俺がなめてる。
馬鹿になれ!
…って、本当に馬鹿になってしまってはだめだが、
つくづく、プロじゃない。
それにみなさん、もしかするととっくにお気付きかもしれないが、
今日のこの文章、完全にアルコール入ってます。
正直、デリカシーをどうこう語れる精神状態ではちっともないのであります。
それどころか、なけなしのデリカシーを後生大事に守って、
そのせいで肝心なものが手に入らないくらいなら、
いっそデリカシーなんか一切手放してしまえ!
そして、馬鹿になれ!
そういう気分で胸がいっぱいなのです。
これを暴言と呼ぶものもいるだろう。
でもほら、酒のせいにすればなかったことになるじゃない、日本人って。
もちろん、G7みたいな大事な場所では、さすがにかばいきれずに大臣を辞任するハメになったりするわけだが、少なくともサラリーマンの接待くらいなら、「酒の席でやったことですので…」は、言い訳として通用する。
「馬鹿になれ!」と、背中を押されて許される場所、それが宴席だ。
しかし、アルコールが人の理性や建前をはぎとってしまうのだとすれば、
むしろ酔っている状態の発言こそ「本当のこと」であり、
人としての「うまみ」の部分ではないのかとも思う。
シラフの状態と、酔った状態を別人格として分けてしまうのは、
リバーシブルのジャンパーみたいで便利だが、あとで絶対つじつまが合わなくなる。
解離させてしまうと、かえって危険があぶない。
シラフの馬鹿も、酔った馬鹿も、本当は同じひとつの馬鹿なのだからして。
私は不思議ちゃんみたいなことを言っているでしょうか。
たまには、こうして酔って書きたいときもあるんだよ。
酔わせてよ、書かせてよ、そして許してよ。
そしてもちろん、馬鹿になれ!
馬鹿になれ!
偉大なるアントニオ猪木先生はかつてそう言ったが、
私は今、切実に馬鹿になって、何もかもが
わからなくなってしまいたい気持ちでいっぱいだ。
あのね。
こう見えて、かつて「第2回ぴあコラム大賞」を獲ってるんです、俺は。
で、天下の『Weeklyぴあ』に半年間、毎週コラムを連載してもいた。
結局、その賞は私の次の年の第3回で何の告知もなく廃止され、
それ以降、この経歴は特に俺に何の権威も影響力も及ぼさずに、
この通り現在に至るわけだけど、あの頃は、確かにがんばっていた。
がんばって、そして、おもしろかった。
馬鹿になれ!
猪木先生もそう思いながら読んでくださっていたのではないか。
このコラムは、そんな私がほぼ5年ぶりに書く連載コラムであって、
「まだ衰えちゃいないぜ」、もしくは
「衰えているかもしれないけど魂は死んでないぜ」、あるいは
「衰えているのでリハビリさせてください」という気持ちで毎回臨んでいる。
もちろん「馬鹿になれ!」ともだ。
少なくとも、「正しくくだらなくありたい」という思いは、折り目正しく常にシャキーンと持ち合わせているつもりだ。
でもね。
でもさ。
いつもそういうストイックな気持ちでいられたら、とっくにプロになってるよ。
「ぴあコラム大賞作家」と言われて、売れっ子になってございますよ。
デザイナーズ・チェアに裸の美女をはべらせて、ワイングラス片手に膝にはチェシャ猫を抱えてますよ。
腰にはトカちゃんクニちゃんベルトを巻いてますよ。巻いてませんよ。
それが現状そうなっていないのは、
俺が「ものわかりのいいプロ」になるくらいなら、
「はみ出し者のアマチュア」でいたいと、
心のどこかできっと思ってしまっているからだ。
たとえば、このコラムは世にはびこるデリカシーについて書くコラムであって、
プロならば、一度そう決めたからには、どんなときもしれっと
デリカシーに対して一家言ある風情を演じなければいけないのだろう。
しかし、今の私の正直な気分は、
「でりかしいいいい? なにそれええええええええええへへへへ(語尾が途中からグラデーションで薄ら笑いに変化)!」と、
よだれを垂らしながら、鼻くそをほじった指で
キーボードを叩きたい気持ちでいっぱいなのである。
キーボードには、食べこぼしたカントリーマアムのカスがボロボロしているのである。
それにアリがたかって行列を作っている。そのアリをアリクイがなめてる。
そのアリクイを俺がなめてる。
馬鹿になれ!
…って、本当に馬鹿になってしまってはだめだが、
つくづく、プロじゃない。
それにみなさん、もしかするととっくにお気付きかもしれないが、
今日のこの文章、完全にアルコール入ってます。
正直、デリカシーをどうこう語れる精神状態ではちっともないのであります。
それどころか、なけなしのデリカシーを後生大事に守って、
そのせいで肝心なものが手に入らないくらいなら、
いっそデリカシーなんか一切手放してしまえ!
そして、馬鹿になれ!
そういう気分で胸がいっぱいなのです。
これを暴言と呼ぶものもいるだろう。
でもほら、酒のせいにすればなかったことになるじゃない、日本人って。
もちろん、G7みたいな大事な場所では、さすがにかばいきれずに大臣を辞任するハメになったりするわけだが、少なくともサラリーマンの接待くらいなら、「酒の席でやったことですので…」は、言い訳として通用する。
「馬鹿になれ!」と、背中を押されて許される場所、それが宴席だ。
しかし、アルコールが人の理性や建前をはぎとってしまうのだとすれば、
むしろ酔っている状態の発言こそ「本当のこと」であり、
人としての「うまみ」の部分ではないのかとも思う。
シラフの状態と、酔った状態を別人格として分けてしまうのは、
リバーシブルのジャンパーみたいで便利だが、あとで絶対つじつまが合わなくなる。
解離させてしまうと、かえって危険があぶない。
シラフの馬鹿も、酔った馬鹿も、本当は同じひとつの馬鹿なのだからして。
私は不思議ちゃんみたいなことを言っているでしょうか。
たまには、こうして酔って書きたいときもあるんだよ。
酔わせてよ、書かせてよ、そして許してよ。
そしてもちろん、馬鹿になれ!
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