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『ブスノート』とは
新世界の神になることを決意した嘉川轟子が夜神月子(やがみらいこ)と改名。
「美しい新世界」の創生のため遺伝子操作によって美女と美女をかけあわせ、
「究極のキメラ・アイドル」を産み出すマッドサイエンス研究所のことである。

アーカイブ: 2009/01

Vol. 1 時東ぁみさんの天職はちゃんこ屋のおかみさん

いまや一大メジャー勢力となっている「メガネ萌え」だが、
よくよく凝視してみると、その中身はけして一枚岩ではない。
旧来派「Mっ気メガネ萌え」と新興派「Sっ気メガネ萌え」が存在するのである。


メガネとはすなわち視力の弱さの証明であり、視力の弱さとは身体的欠陥である。
つまりメガネをかけることとは「弱点さらして歩いてる」ということに他ならない。
この弱さ・欠陥にゾクゾクさせることが「Mっ気メガネ娘」の基本路線であり、彼女たちのメガネは「気弱」「奥手」「まじめ委員長」などを象徴するアイテムとなる。


しかし同時にメガネは、「PTAおばさま」「教師」「エリート」など概して高圧的な人々の装備でもあり、ここから派生したのが「Sっ気メガネ娘」である。


時東ぁみさんは当初、やや代官山メガネ系寄りのセルフレームのメガネをかけてグラビアに登場し(代官山メガネ系はSかMかで言えば「中立メガネ」と言えよう)、
2005年のミスマガジンでつんく賞を受賞したことを期に80’s風アラレちゃんメガネ+聖子ちゃんカットの典型「Mっ気メガネ」となる。
その後、辻ちゃんギャル曽根とともにユニット「ギャルル」を結成した際には、ギャル+メガネという新機軸の「Sっ気メガネ」へと変貌したのであった。
(ちなみにメガネアイドル以前の時東さんは「小松幸江」という名前の子役タレントだったのだが、それはまた別の話。)


つまり時東さんがあまたのメガネ娘たちと一味ちがうのは、「Mっ気メガネ」と「Sっ気メガネ」のあわいを行き来するその自在さなのである。
ナイスコントロール!
かくてわたしも、彼女のメガネが醸し出すSっ気とMっ気のハーモニーに羅針盤を惑わされ、パソコンの秘密フォルダに時東さん画像が溢れる事態に陥った。


で、画像収集において格好の狩り場となるのはやはりブログ内の「自分撮り画像」であって、わたしはいつもこれを非常に楽しみにしており、時おり画像が「今日食べたごはん」だったりすると心底がっかりする。

彼女は両目とも裸眼1.5で、メガネはダテ、しかもライトの反射を防ぐためにレンズすら入っていないということは有名だが、どんなに「日常の1コマ」的な(お風呂上りとか)画像であっても、決してメガネレスでは写真に納まらないあたりにプロ意識を感じる。
時東さんのプライベートメガネはメタルフレームか黒のセルフレームで、代官山メガネ系の「中立メガネ」によるフラットな状態を保っている。
ただしサングラスは時東さん的に「ギリギリセーフ」らしく、サングラス姿はけっこう頻繁に披露している。
このあたりに現在の時東さんのメガネスタンスの迷いを感じるのは、わたしの考えすぎであろうか。

おそらく考えすぎなわたしは、時東さんの次なるメガネは果たして何系メガネだろうか?ということに思いをはせるようになった。
彼女のメガネ史の変遷を振り返ってみよう。

(メガネレス)→中立メガネ→Mっ気メガネ→Sっ気メガネ

こうなってみると、MもSも済ましてるし、だからといって今さら中立には戻れない。
ということはMでもSでも中立でもない、新しい展開が求められているということだ。
そこでわたしは考えたのだが、こういうのはどうだろう?
「Sっ気⇔Mっ気 変幻自在メガネ」
SでもないMでもない中立メガネとは真逆の、SでもありMでもある変幻メガネである。

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ちゃんこ屋のおかみさん、アミさん。
色つき老眼鏡に金のチェーンを光らせ、ちゃんこの食べ残しには容赦ない鉄拳制裁を加える。
むかし関脇・いま半分ヤクザの旦那さんすら、妻の前では震えるチワワ同然という、真性どSメガネである。
ところがアミさん、暴力団もミンボー幹部も怖くないが、ちゃんこの湯気にだけはめっぽう弱い。
ちゃんこの湯気だけが、色つき老眼鏡を白く曇らせて優しくアミさんから視界を奪ってしまうのである。
視界を奪われたアミさんは、湯気の熱のせいか動揺のせいか、頬をまっかに上気させ、恥じらいながらおぼつかない足取りで店の奥に消えてしまう。
「メガネは弱点」の基本にのっとった王道Mメガネである。
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長くなりましたが、以上の理由から、時東あみさんの天職は
ちゃんこ屋のおかみさん(S⇔Mメガネ)
ということで、いかがでしょうか。
無理は承知で、おすすめします!

時東ぁみオフィシャルブログ 「あみログ」
http://ameblo.jp/tokito-ami/
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Vol.0 「天職なんかじゃない」なんて言わないよ絶対

いきなり自分の話で恐縮だが、わたしは名前を轟子という。
グラビアアイドルを愛している。
巻頭グラビアやテレビ画面の四角いフレームから決して出てはこない彼女たちに、
投函しないラブレターを日陰でこそこそと、しかしあらんかぎりの情熱を込めて書く。
『パンドラの箱入り娘たち』はそんなわたしのラブレター墓場です。


それで、まだ自分の話が続くのでほんと申し訳ないのだがでもちょっと聞いて欲しい。
アイドルを愛するほとんどの人々と同じように、
わたしもまたアイドルたちのブログを巡回することを日課にしている。

たいへんな時代になったものだ、と轟子はおもう。
いまだかつて、これほどまでにアイドルの「セルフプロデュース能力」が問われた時代があっただろうか。
黙ってかわいくしていれば阿久悠とか秋元康とかなんかそういうインテリおやじが「ベストな魅せ方」でキャラ設定していってくれる、そういう時代は終わった。
いまやアイドルは、自然体ですっぴんかつガッカリされない程度にはすてきな日常、というのを毎日毎日毎日ブログに書き続けることも、その業務の一環なんである。
自分撮りの写メ付きで。ぜんぶ自力で。
たいへんな時間外労働だ。


その彼女たちの労力のたまものを、夜な夜な軽快なクリック音を響かせながらナナメ読みする日々を送るうちにわたしは、なんとなくこういうことを考えるようになった。

「はたしてこの職業は、この娘を幸せにしているのだろうか」
「アイドルよりももっと向いている職業があるのではないか」
「より幸せになれる職業は他にあるのではないか」

矛盾している。
わたしと彼女たちが出会ったのは、彼女たちがアイドルをやってたからだ。
アイドルである彼女を、わたしは好きになった。
好きになりすぎた。
挙句、「アイドル以外の仕事をすべきでは…」などと思い始めるのである。
つくづく矛盾だ。
しかしわたしはこの矛盾をこそ愛の本質であると言いたい。


そういうわけで、『パンドラの箱入り娘たち』の第一期では、
きらめくアイドルであるところの彼女たちに
「きみの天職はこれだ!」
とアイドル以外のお仕事をオススメする。
題して『パンドラの箱入り娘たち~第一期・天職なんかじゃない~』です。


しかるにそれは「アイドルなんか辞めちまえ」というアンチスタンスからの提言ではなく、「なんかいろいろ心配なんだよ…」という郷里のお母さんスタンス、および「あなたの裸が好きだが、もうあなたが裸をさらすところは見たくない!」というAVアイドルを本気で愛したファン・スタンスなどがない混ぜになった、愛の矛盾に満ちた魂の叫びであるとお考えいただきたい。
愛ゆえにわたしの魂は叫ぶのです!

ラブレターは深夜に書くもの、
深夜のテンションでどうかお付き合いください。
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