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デリカシーの機微が問われる現代社会のさまざまな局面に、ぼんやりと警鐘を鳴らす無神経なコラム。

第17回 「うつとマスクとビックリマン」

第17回 うつとマスクとビックリマン

豚インフルエンザ対策に買ったマスクを、
みなさんどこに持て余しているのか、そろそろ白状してほしいのです。
後ろ手に隠しているなら出してほしいのです。
ジャンプしたり、靴の裏を見せてほしいのです。

だってさあ、あれだけ「品切れ」とか「入荷待ち」とか言ってたクセに、
実際、街を歩いてみると、みんなびっくりするほどマスクをしてないのである。
口元、丸出しなのである。
口元丸出しで、ウヘヘヘ…ってよだれ垂らして笑ってるのである。
いや、それは春なので俺がたまたま見た幻だったかもしれないが、
せっかく買ったんなら、もっと“普段使い”してこうぜって話なのよ。

確かに、「今がまさに俺のマスクかけどき」という
ふんぎりがなかなかつかない気持ちもわかる。

だって、ここ数年のマスクときたら、
医者がオペで使うようなヒダがついていたり、
エッジの利いた「キャシャーン」みたいなイカツイものばかりで、
「なんか風邪っぽい」程度の人間が、軽い気持ちで
うかつに使うには“本気すぎる”のである。

「旅館のピンポンで本気になるなよ」とか、
「通夜ぶるまいの寿司、本気で食うなよ」とか、
本気になるタイミングを見誤ると、人は恥ずかしいことになるが、
あんまり早い時期から本気マスクをかけて、
ビビリと思われるのは避けたいというチキンレース的な思いが、
人々の心の中で未だにわだかまっているのではないか。

しかも、本来は「予防」のためにするはずのマスクなのに、
むしろマスクを装着している人のほうが「絶賛感染中」みたいな
ビジュアルになってしまうため、周囲からエマージェンシーな目
見られてしまう、という危険性もある。

しかし、人目を気にしてマスクができないくらいなら、
そもそもなんでマスクなんか買ったんだ、という話である。
する気もないマスクを買い占めるほど、人々は何を恐れたのだろうか。
「豚インフルエンザ」の「豚」って部分か。

たぶん人々が恐れたのは、「新型インフルエンザの蔓延」という、
具体的に何を恐れたらいいのかわからない
漠然とした不安そのもの
だったと思うのな。
だからそれを、「マスク」という具体的で目に見えるものを
手に入れる
という簡単な行為に置き換えて、
とりあえずの不安を解消させたのである。

これってあれな、すごく不謹慎なたとえだけど、
うつの人がリストカットするのと似てるよね。

あれはさ、抱える苦しみの正体が自分でもわからなくて辛いから、
わかりやすくこれだと言える「痛み」の場所が欲しくて切るわけじゃない。
手首切っても、本当に死ぬつもりはないのと同じで、
マスクさえ買ってしまえば、本当に使う必要はないのである。
シールさえ抜き取ってしまえば、ビックリマンチョコはもう要らないのである。

つまり、人は必ずしもチョコが食べたくて
ビックリマンチョコを買うわけではない
ってことだ。

何かは何かの代償行為。
欲望の対象がチョコではなくシールにある以上、
本当はビックリマンチョコは
ビックリマンキャラメルでもビックリマン大福でも
ビックリマンマギーブイヨンでもよかったのかもしれない。

しかしそれでは、シールに30円も50円も
払うことの後ろめたさに堪えられないから、
「あのウエハースチョコも、あれはあれでおいしかったよね」とか、
「なんだかんだ言って、あのウエハースチョコあってのビックリマンだったよね」と人は思うのだ。
否、思おうとするのだ。

だって、そう思わなければ、
自分がそのチョコだったときの虚しさに堪えられないからだ。

こと人間関係においては、
「私はあの人にとって、誰の代償物なのだろう…」
などと思いつめると死にたくなるので、やめたほうがいいと思う。

「チョコが好き」「手首切りたい」「マスク買いたい」
その表面的なニーズが、実はいくらでも入れ替え可能なことに
気付いて平気でいられるほど、私たちの日常はまだ磐石じゃない。

さて、シールを抜かれたビックリマンチョコは
捨てられて社会問題になったが、
買い占められたマスクは今、誰がどうしているのだろうか。

風呂場の排水溝に詰まっているのだろうか。
下水の片隅に浮いてたりするのだろうか。
そのうち海に流れ込み、海一面を白く多い尽くして
豊かな漁場を荒らしたり
するのだろうか。

この際だから、何か全く新しいマスクの使い方を
編み出してみるのもいいかもしれない。


猿ぐつわの代わりに。
コーヒーフィルターの代わりに。
パーティー時の紙皿・紙コップに。
超極小セクシー下着として。
いっぱいつなげて卒業式で川に流す。

ミルクをたっぷり染み込ませて揚げる。
株券として。
カツオだしで煮込んだマスクを鬼の格好で
子どもに投げつける新しい地方の年中行事として。



せっかく買ったのだから、
ぜひ有効に活用していただきたいと思う。

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