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デリカシーの機微が問われる現代社会のさまざまな局面に、ぼんやりと警鐘を鳴らす無神経なコラム。

第14回 「ゴッサムシティ鎌倉」

第14回 ゴッサムシティ鎌倉

行楽シーズンの鎌倉ほど、人をマゾヒスティックな気持ちにさせるものはないと、
今回はいきなりそんな出だしから入りたいと思うわけだが、

というのも、私は生まれも育ちも鎌倉で、
といっても、緑に囲まれ寺社が立ち並び眼前に海が広がる、
そんな万人が想像するような鎌倉の中心部ではなく、

その北部におまけのようにくっついている、
大船というベッドタウンに実家はあるんだけど、

人に説明するとき「実家は大船です」と言っても
「ああ、松竹の撮影所があったところね。寅さんの撮影してたんでしょ?」
などと物分かりのいい認知の仕方をしてくれる邦画シネフィルはまずいないし、

もちろん「昔、鎌倉シネマワールドって微妙なテーマパークがあったよね」などと、
松竹の古傷をほじくり返すようなマニアックなことを知っている者も皆無であって、

ましてや「大船って…あのアメリカザリガニが日本で最初に
持ち込まれた場所?
」などと言ってくれる友達もいないわけであって、
むしろそんなアタック25の解答者みたいな友達がいたら嫌だということもあり、

たいていの人が「ああ…大船ね……」と言って目を泳がせたまま、
途方に暮れて気まずいマジックアワーが訪れるのは面倒だし申し訳ないので、

そういうときは「実家は鎌倉です」といけしゃあしゃあと答えるようにしているものの、
それで「ああ、鎌倉ですか! いいところに住んでますねえ」などと
いいリアクションを返されると、それはそれでうしろめたい…という
大変に屈折した感情を、鎌倉中心部に対して抱くのが「大船住民あるある」なのだが、

そんな大船住民である私も、小中学生時代は鎌倉中心部まで毎日通学しており、
平素から修学旅行生やお年寄りたちが猛威を振るっている現状を知っていたし、
土日ともなれば、それこそ都心からの日帰り観光客で
町がひしめき合って地元住民は身動きが取れず、
子供ながらに「こんなとこ住むとこじゃねえな」と同情していたのだが、

怖いですね、恐ろしいですね、
東京暮らしが長くなると人の心まで変わってしまうんですね、
と、なぜかここだけ稲川淳二の口調だが、

そんな鎌倉の住民感情をすっかり忘れて完全に第三者の行楽客の立場で、
こともあろうにゴールデンウイークに、臆面もなくおめおめと、ぬけぬけと、のうのうと、
鎌倉へのこのこ出かけてしまった私であって、

そうして行ってみてたどり着いた結論は、
「みんな鎌倉に行きすぎじゃないだろうか」という、
お前これだけ句点( 。 )もなしに話を引っ張ってきておいて
それかよ、みたいな素朴なことになってしまうわけですが、

だってさ、だってね、
鎌倉駅から江ノ電に乗るだけで、
ただ乗ろうとしただけで、
「一時間待ち」
って言われたんすよ!
もう信じられないわけですよ、こちとら。

信じられないついでに、句点を打っちゃったんでね。
もうここから先は、これまで句点を節約してきたぶんまで。
むやみに。やたらと。句点を打っていこう。と、そう。思って。ますけれども。
なんなら。一度に2個も。。3個も。。。句点を。。。。打って。。。。。い。。。。。。け。ば。
いいと思って。。。。。。。。。。。。いますけれ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。ども。

とにかく、江ノ電なんてね、たかが公共交通機関なんですよ。
地元住民も使う、ただの生活の足なんです。
ビッグサンダーマウンテンじゃないんです。
いや、トロッコみたいな車両が、民家スレスレを通っていく
あのジオラマ感は、確かにアトラクションぽいっちゃあ、ぽいが、
乗るだけで一時間待ちは、どう考えても異常だ。

いや、実際、鎌倉を訪れる観光客の大半は、
鎌倉をディズニーランドか何かと混同しているのかも知れない。

都心からさほど離れておらず、とはいえそれなりに電車を乗り継いで行く
そこそこの「おでかけ感」を味わうことができる距離にあって、
「古都」という一定のコンセプトを守ったさほど広くない箱庭的空間の中で、
寺社や仏像、和食や和菓子、海、カフェといったわかりやすい記号に取り囲まれて、
日常とはちょっと違うスピリチュアルやロハスのごっこ遊びが楽しめる。

鎌倉は、ミッキーマウスの代わりに坊さんとサーファーがパレードする、
スローライフ界のディズニーランドなのだ。

本物のディズニーランドと違うのは、スタッフと客との境界線がズルズルなこと。
おそらく、若い観光客で鎌倉に憧れを抱くのは、緑に囲まれた一軒家で、
採算とかをあんまり考えずにこだわりのコーヒーやらベーカリーを出す
カフェを営んで地元のマダムに愛されたいみたいな、そういう人たちだ。

そして、実際にそういう人たちが脱サラして鎌倉に家を買ってカフェを始めている、
鎌倉には最近、そんな店が本当に多い。

インディーズバンドとそのファンのような、
ハロプロのアイドルに熱狂していたかつての小学生女子のような、
「私にも手が届くかも知れない」等身大の幸せの形が、そこにはある。

京都が商業誌のジャンプなら、鎌倉はコミケの同人誌。
そして、同人誌で固定ファンにだけ愛されていればいいという
生き方を選択する人が、今は多いのだと思う。

思いがけずシリアスな話になってしまったが、
鎌倉が思いのほかいつまでも飽きられずに、
観光地としてのリノベーションに成功しているのは、
そういう人々の欲望抜きには考えられないなあと思ったのだった。

で、そういう人が消えていなくなれば、
鎌倉ももう少しのんびりした観光地になるんだろうけど。

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