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デリカシーの機微が問われる現代社会のさまざまな局面に、ぼんやりと警鐘を鳴らす無神経なコラム。

第13回 「酔ってパンツの緒を締めよ」

第13回 酔ってパンツの緒を締めよ

酔って粗相をしたことがない、なんて
清廉潔白なことは口が裂けても言えない身分であって、

浴びるほど酒を飲んだ日は、
ときにセクハラに及んで女性を押し倒したり、
部屋の壁に携帯電話を投げつけて穴を空けたり、
自暴自棄になってコンビニの袋を振り回したら
見知らぬマンションの茂みにちぎれたカレーパンが
吹っ飛んでいって行方不明に
なったり、
いろいろあった。

セックス&バイオレンス。あと、なんか…エスニック(カレーパンだから)。

よくわからんが、そういう私の日頃のキャラクターからは
似つかわしくないオスな一面が、酔ったときだけ
ムクムクと頭をもたげて立ち現われてくるのであって、

それが私の押さえつけていた本性なのか?と問われたら、
「本性なのだ」と答えるしかないのかもしれず、
だからって人間はそうやすやすと本性を見せてよろしい
ということには、なっていないのが現状だ。

そう、厄介なのは「本性」である。

小さい頃から、「人様には素直に、正直に生きなさい」と教育されている割に、
我々は「本性」を見せると怒られてしまう理不尽な存在なのである。

いや、そりゃあ私も大人ですよ。
そうそうめったやたらと「本性」を
ズルムケにして生きていいとは思ってないよ。
思っていても言わない、考えていてもやらないのが
分別ある大人のデリカシーであると、歯をくいしばって理解はしている。

だとしたら、なぜに世間はこんなにも酒に対して寛容で野放しなのか。
あまつさえ、飲めない奴はつまんねえみたいな空気をバンバン出してくるのか。
そこら辺、納得のいく説明が欲しい私がいるわけですよ。

酒といったらあなた、本性のリミッターを解除する格好のトリガーじゃないですか。
心の鍵を開けるピッキング犯みたいなもんじゃないですか。
心のスキマをお埋めするドーーーン!みたいなもんじゃないですか。

そりゃもう、精神に与える影響、常習性、依存性は明らかであって、
「アル中」なんて、一見「お前、どこ中?」みたいなフランクな響きを装っておきながら、
実際は中学生のようなかわいげなど微塵もなく、そのタチの悪さは大麻以上だとも聞く。

世間は、そんな悪魔の妙薬を「大人の嗜みだろ」みたいにグイグイ勧めておきながら、
いざ酒で粗相をしでかすと「大人としてなってない」と、
人を崖っぷちに追い詰める片平なぎさのような仕打ちをしてくる。

なんなの?
「世間」って「鬼」の別名?
自分からホテルに誘っておきながら、バレたら「ムリヤリ押し倒されたの」っていう女?

もちろん「節度ある酒量を自己管理するのが大人でしょ」という言い分なのはわかるが、
酒という強力な依存性薬物を相手にして、
それはデリカシーの要求水準が高すぎるのではないだろうか。
それってなんか、「落とすための面接」みたいな、
ムチを打ちたいがためにアメを与えてる感じがしません?

少なくとも、酔った上での粗相は、
「やらかしてしまったこと」を罪に問うのではなく、
「自分が本性を露呈してしまう酒量のラインを
管理できなかった管理責任」だけを問うべきだと思う。

それに、この世から本気でアルコールの害毒をなくしたいのなら、
「お酒、カッコ悪い。」とか、「ダメ、セッタイ。」とか、
「泥酔は、犯罪です。」とか呼びかければいいんだよ。
なぜ、酒を大麻並みに厳しく規制しないのか。

それができないのなら、大麻を酒並みに合法にすればいいのだ。
…いや、ごめん。それは違う。言い過ぎた。
よ、要するに、咽喉に詰まらせる危険性は同じなのに、
なぜ餅は許され、こんにゃくゼリーは製造中止になるのかという話だ。

餅とこんにゃくゼリーとを遠く隔てる、
「事情」という名の深くて暗いイムジン河。
その「事情」に、言い知れぬ欺瞞を感じてしまう私は、
「王様は裸だ」と臆面なく口にしてしまう子供なのでしょうか。
「裸だったら何が悪い」と夜空に叫んだチョナンカンなのでしょうか。

――答えはすべて、草なぎ君の脱いだウエストポーチの中に入っている。

そんな夢のある話だったら、いいのにな。

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