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デリカシーの機微が問われる現代社会のさまざまな局面に、ぼんやりと警鐘を鳴らす無神経なコラム。

第21回 「デブは心の病気です」

第21回 「デブは心の病気です」

この先の人生、たとえどんな事故や難病に見舞われようとも、
これだけは絶対に自分とは無縁だろうと思っているものがある。

デブだ。

まさか自分がデブにはならないだろうという強い確信があるのである。
これは何も自分の自己管理を過信しているのではなく、
それ以前に、管理しなくても太らないし、太れない体質なのだ。

生まれてこの方、脂肪がつかない代わりに筋肉もない
やせぎすの体型で、そのフォルムは限りなくエヴァンゲリオンに近いし、
胸板もベニヤのように薄く、“平成の歩く細うで繁盛記”と呼ばれている。

空から女の子が降ってきても、腕力がないので受け止めきれず、
薄い胸板をすり抜けてしまい、落として死なせてしまうだろう。
もちろん、ラピュタは一生見つからない

そんな私だから、世間のほとんどの人が強迫観念のように
抱いている「デブフォビア(デブ恐怖)」を感じたことがない。
そもそも、自分がデブになるというビジョンが思い描けないのだ。
“日本経済再生のシナリオ”のほうがまだ思い描けるくらいに、
どうすればデブになるかがわからない。

①夜遅くに②高カロリーなものを③大量に食べるという
「デブ三原則」を遵守した生活を送っているし、運動もまったくしない。
それどころか、食品のカロリー表示というものを気にしたことが、まずない。
見向きもしない。
にもかかわらず、私が常にエヴァンゲリオン体型をキープしているのは、
身も蓋もない言い方をしてしまえば、「体質だ」ということになる。
逆に、普通に食べているだけなのに太りやすい体質の人も当然いるわけだ。

で、ここで問題発生よ。
アメリカでは、太っていることを理由に自己管理能力が低いなどとレッテルを貼られ、
人事査定でマイナス評価が下されたり、リストラの対象になることもあるという。
だとすれば、私のように体型にこそ表れないが、考え方にデブフラグが立ちまくっている「心のデブ」も、同様に「問題アリ」とジャッジを下されるべきである。

ところが、断罪されるのはいつだって目に見える「フィジカルデブ」ばかり。
そんな彼らの脂肪の影に隠れて、心を肥え太らせている「メンタルデブ」が断罪されないのは、ちとアンフェアではないだろうか。

そう、デブも心の時代なのである。

そのことを象徴するかのように、
私の友人には、さして太っているわけではないのに
完全に「デブキャラ」扱いされてしまう人物がいる。
何を隠そう、大塚ニューコーポのますらおでぶ、その人である。

彼は、がっしりした体格ではあるが、
取り立てて騒ぐほど太っているわけではないし、
最近は実際にダイエットにも成功して、
数字的にはもはやまったくもってデブではない。

しかし、たとえば
「すべての食べ物の中でコーラが一番好き」
「気になるラーメン店に行くためだけに外出することを厭わない」
「激しい運動をすると、疲れるよりも先に物が食べたくなる」
「食後に水が飲みたくなるように、口が自然と菓子パンを欲する
などといった逸話の数々が、彼の過去をつつくと
肉汁のようにあふれ出すにつけても、

またあるいは、学生時代に金がなくなり、
食べ物が底を尽きて困窮するあまり、
「ティッシュにぽん酢をつけて食べた」という
伝説的エピソードを聞くにつけても、

人をデブキャラたらしめているのは、
体型ではなくその考え方にある、としみじみ思うのである。

そんな私も、人のことは言えない。
生活習慣や心がけは、間違いなくメンタルデブそのもの。
こうなったらいっそのこと、
体重55キロでありながら「デブ」と呼ばれることを目指して、
「デブは脂肪ではない、思想だ」を合言葉に日々を生きようと思う。

最近、ちょっと脇腹がついてきたような気がするのは、もちろん気のせいである。

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