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デリカシーの機微が問われる現代社会のさまざまな局面に、ぼんやりと警鐘を鳴らす無神経なコラム。

第04回 「逆チョコレートを一茂に」

第04回 逆チョコレートを一茂に

逆チョコってなんだよ!

時期はずれの遅いツッコミをさせていただいてもいいだろうか。
これがプロなら、こんなありふれたネタに、しかも今さらツッコミを入れることはツッコミとしてのプライドが許さないかもしれない。しかし、幸いなことに私はツッコミのアマチュアだ。

それどころか、先日、道行く小学3年生くらいの男の子に、すれ違いざま「こんな大人になっちゃダメだぞ」とふざけて声をかけたところ、即座に「そりゃそうだ」と“ツッコミ返された”経験の持ち主でもある。小学生相手に、むしろ「ツッコマレ」としてのプロフェッショナルぶりすら発揮している私だ。
だから、今さらのツッコミも気にせず主張しようと思う。

逆チョコってなんだよ!

確かにここ数年、バレンタインデーというイベントは末期症状だった。
現在のバレンタインデーを「貴乃花」にたとえるなら、兄弟間の確執で騒がれ、みるみる激ヤセして正気を失っていた、ちょうどあの時期にあたると思う。

特に、社会人になってから実感したけど、女性社員一同から男性社員に渡す義理チョコの風習な。
あの、「土俵に入ったら塩をまく」のと同じくらいオートマティックに行なわれている儀式的習慣に漂う、「えへへ、どうぞチョコレートでも…」「あはは、いやあ悪いねどうも…」みたいな段取りの決められた気まずい時間、あれ、いらねえ。
すごくいらねえ。
力士が取り組み前ににらみ合っている時間くらい、いらねえ。

そして、なんでたとえがいちいち相撲なんだ俺は。

それだけでも、バレンタインデーを「お前、寒いんだよ」と切って捨てるには十分だと思うが、ここにきて「逆チョコ」ですよ。
「商魂たくましい」というのは褒め言葉だと私は思っているが、ここまでくると「商魂しらじらしい」というか、八百長ならもう少しうまく演出してよ、という気持ちになるのである。
「儲かりたい」という気持ちが丸出しになりすぎていて、相撲でいったら、最初から回しを締めていない……もういいか、これ。
とにかく、あられもないと思うのだ。

そりゃあ、最初に「逆チョコ」を思いついて女性に贈った男は、さぞかし粋だと思うが、コンビニの100円チョコまでが「逆チョコ」「逆チョコ」と言い出したら、それはたちまち「無粋」に早変わりする。

そして、考えすぎかもしれないが、私には「逆チョコ」の「逆」が、「あえて」と言っているように聞こえて一層しゃらくさく思えるのだ。
よくバラエティ番組とかで、あえて「やらせ」っぽくしたり、「わざと」であることを視聴者が了解した上でおもしろがる、という手法があるが、そんなとき「逆におもしろい」とか言ったりする、あの「逆」である。

でもね、その「逆」はきわめて高度な笑いに下支えされた「逆」であって、そういうセンスと覚悟のない「あえて」は、ただの「開き直り」だと思うのだよ。

「あえて男が女にチョコ贈っちゃえばいいじゃん、大々的に盛り上げるから、あえてその波に乗っちゃえばいいじゃん、チョコ売れるし!」というなし崩しの「逆チョコ」商戦の呼びかけは、肝心の粋なロマンティシズムが内部崩壊を起こした「開き直り」であり、もうバレンタインデーが自滅していく断末魔のうめき声、または最後っ屁にしか聞こえない。

たとえば、誕生日の人が家族に“産んでくれてありがとう”とケーキを贈る「逆ケーキ」や、死者が夢枕に立ってあんこともち米を丸めてくれる「逆おはぎ」なんてものがあったら、それは「贈る者」と「贈られる者」の関係を踏み越えた無粋の極みだろう。
同じように、万引きを捕まえようとしている万引きGメンを逆に万引きが捕まえる「逆万引きGメン」や、控え室で出動の準備をしているなまはげたちに、泣き叫ぶ子供たちが石つぶてで奇襲する「逆なまはげ」は意味がわからない。
「逆半身浴」はただの風呂場での転倒事故だし、逆べトちゃんドクちゃ…いや、なんでもない。

ね。逆にすればいいってもんじゃないでしょ。

それに、「逆におもしろい」は、「つまらない」「サムい」と常に紙一重の運命を歩んでいる。
「わかっていて、わざとやっているんですよー」ということを受け手にわからせるのは、実にデリケートなさじ加減を要求されるのである。
そんな覚悟もなしに、「逆チョコ」なんて軽々しく言ってほしくないのだ、こっちは。

…おもしろだって、つらいんだよ。

そんなことを考えながら、さっきふとテレビをつけたら、オーストラリアの山火事を報じるニュースのあと、長嶋一茂が大まじめな顔で、「これを対岸の火事にしてほしくないですね…」って言ってて、思わずずっこけた。
たぶん、本当に心の底から「この問題を他人事と考えちゃいけない!」と思って言ったんだろうな、一茂は。
そこに、「偶然うまいこと言っちゃった」とか、「図らずも不謹慎なこと言っちゃった」という逡巡はなかったに違いない。
「逆に」というデリケートな概念なんて、一茂には関係ないのだ。

ホンモノは羨ましいね。
という、今日はそういうお話でした。

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